夜の禊

夜が深まり、街の灯りが静かに薄らいでいくころ、ルリは寝室の窓を開け、そよぐ夜風に耳を澄ませました。遠くの木々の葉擦れが心臓の鼓動を落ち着かせ、月の雫のような銀色の光が庭に並んだラベンダーをそっと照らします。

「今夜こそ、やすらかな眠りにつけますように」

そう願った瞬間、涼やかな鈴の音がひとつ響きました。音とともに淡い光の粒が集まり、手のひらほどの光の精霊へと形を整えます。精霊は透き通る羽衣を揺らしながら、やわらかな声でささやきました。

「怖れず、こちらへ」

導かれるままに庭へ降りますと、生垣の奥に隠れていた古びた鉄の扉が音もなく開きました。扉へ続く月の光に照らされた小径には、淡く青い石畳が霧を吸い込むように輝いています。小径は扉の向こうにも続いていました。ルリが扉をくぐると、背中で扉は静かに閉じ、辺りにはラベンダーの香りだけが残されました。

小径の先には、背の高い木々に守られた静かな広場がありました。広場の真ん中には夜空を映す鏡のような泉があり、澄んだ水面の中で星と月の光が輝いています。ふと見ると、泉のそばで灰色の猫がこちらを見ていました。穏やかな金色の瞳は温かく輝き、心の底まで見透かされそうです。

猫は小さく首をひねり、優しい声で言いました。

「ここで心を洗うんだよ」

ルリは恐る恐る泉に近寄り、少しかがんで手を差し入れました。水は薄金色に染まり、広がる波紋が星の形を描きます。星のような光はゆっくり夜空へ昇り、辺りは穏やかな温もりで包み込まれました。

木々は細やかな葉音で子守歌を奏で、ラベンダーの香りが胸を満たします。光の精霊はルリの肩にそっと触れ、散りたての羽のような温もりを残しました。まぶたが自然に重くなってきましたので、ルリは泉の縁に腰を下ろして静かに目を閉じました。

「おやすみ。良い夢を」

その言葉が夜に溶けると、猫はやわらかな鳴き声をひとつ残し、精霊とともに星明かりの奥へ姿を消しました。広場を渡る風は遠い潮騒のように緩やかで、ルリは深いまどろみへと導かれていきました。

気がつくとルリは自室のベッドに横たわっていました。窓は閉ざされていますが、胸には泉の静寂が灯り、息を吸い込むと優しい残り香がしました。窓からは柔らかな月の光が差し込み、穏やかな夜の奇跡をそっと引き継いでくれています。

ルリは深く息を吸い込み、眠りは戦う相手ではなく、仲良くできる大切な友達なのだと、心で感じました。今日こそは、ゆっくりと眠ることができそうです。ルリがゆっくりと毛布に身を包むと、精霊の鈴の音が耳の奥で聞こえた気がしたのでした。

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