小鳥が一羽なくなった
まだ温かい身体を運び
柿の木の下に埋めてやった
盛り上がった土と
据え置いた石とを見つめていると
心に浮かんでいるものが
哀しみだけではないと気づいた
そこには
罪の意識と
解放感とが混ざっていた
そうだ
私は
命を背負う責任をも
土に埋めてしまったのだ
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小鳥が一羽なくなった
まだ温かい身体を運び
柿の木の下に埋めてやった
盛り上がった土と
据え置いた石とを見つめていると
心に浮かんでいるものが
哀しみだけではないと気づいた
そこには
罪の意識と
解放感とが混ざっていた
そうだ
私は
命を背負う責任をも
土に埋めてしまったのだ
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授かったらいつかは消えて行くのが命
その命 しっかりと埋葬したのだから無責任ではありません
小鳥ちゃんの寿命だったのですよ
感じたままに言語化して、その言葉を手放す、それで良いんだと思います。
そうしたらまた、新しい気持ちがやってきて、、、循環するから、良いんだと思います。
間違えないで欲しい。
責任感があるから埋葬したのです。
私は動物がが苦手ですが育てると愛情がわきます。
リスは一匹は逃げ出し戻らず、2匹目は亡くなりました。
冬眠ではないか?そうであつて欲しいと、何度も身体を擦り
温めましたが、ダメてした。
関東の土のある場所を探して埋める事が出来ました。
熱帯魚もたくさん亡くしました。
アパーとトの庭にある右側の木の下に埋めていきました。
翌年、二本の木の内、右皮の木の葉っぱが青々と繁り
あ~染んでからも約に立ってるのだなあと命の不思議を感じた年でした。
頼麦さんの感じてる罪悪感と安堵感は、誰もが感じるこころの動きです。
頼麦さんが特別ではない。
自分を責めすぎなないでほしい。
勿論、頼麦さんのこころの中は見えません。
推測するだけ。
私も11年間生活を共にした子がいました。
葬式を終えスッキリ、しっかりした自分が居て
「あれだけ可愛いがったのだもの」と高を括って射たら
キター!!
夫の2泊3日の大阪出張、空港まで送り帰宅したとたん
何処を探してもあの子が居ない!
ロスが始まった瞬間。
11年降りに独りぼっちを感じました。
このままはいかんと、3日間映画館に通いましたよ。
ダブルへつた―で。毎日。
頼麦さん、自分の安らぐ居心地のよい場所でお過ごしください。
お願いします!!
この詩を何度も何度も読み返して、私にも頼麦さんのお気持ちと近い気持ちが過去にあった事を思い出しました。(失礼だったら御免なさい)
認知症で、6年間の介護が大変だった母が命を落とした時に、何となくホッとした自分がいました。
自分が介護から解放された安堵感もありましたが、それ以上に何もかも分からなくなった母は、自分の家族に迷惑をかけている事の辛さと、自分の身体の痛みから解放されて良かった。と言う気持ちです。
埋葬し、その後の手続きの忙しさもあり、涙を流す余裕もありませんでした。
10年程前の事ですが、ここに来て、もっと尽くせば良かったと言う気持ちになります。