言葉は要らない
言葉は要らない
森を歩くために言葉は要らない
雨を聴くために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
川で涼むために言葉は要らない
海で遊ぶために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
手を握るために言葉は要らない
肩を抱くために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
寄り添うために言葉は要らない
星を仰ぐために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
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言葉は要らない
言葉は要らない
森を歩くために言葉は要らない
雨を聴くために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
川で涼むために言葉は要らない
海で遊ぶために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
手を握るために言葉は要らない
肩を抱くために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
寄り添うために言葉は要らない
星を仰ぐために言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
言葉は要らない
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こんばんは。
久しぶりにツイキャスお邪魔して、耳から聴けて、言葉を読ませてもらいました♪
言葉を紡ぐ事を生業としている頼麦さんからの、言葉はいらない、は不思議で、深くて、透明な感じでした。
稲光と雷鳴と涼しい風が心地よく吹いて来たときに、ちょうど朗読が聴こえてきて、眼を閉じました。
私は言葉、好きなので少し淋しい気持ちにもなりました。
なので憧れます、言葉のいらない時間に。
五感が、第六感が大事ですかね?
言葉じゃなく行動で伝えたいことって、ありますよね。
言葉も態度もどちらも大事ですね。
上手に使い分けられたら、コミュニケーションの達人ですね★
この詩をツイキャスで読んでもらった時、
心が揺れ動いたんです。
言葉は要らない…
私はADHDだから、言葉できちんと説明してくれないと
分からない人種。
それでも何も言わずに手を繋いでくれたり
落ち込んだ時に、優しく肩に手を置かれて
隣に居てくれるだけで
言葉は要らない……って思える。
その優しさだけで心が震える。
以前「言葉の要らない時間をどれだけ過ごせるかにかかっているんだ」と言われていましたが、
やはり人は言葉を交わせることに喜びを感じるのでしょうか。
聞いてくれるなら誰でもいいのですか。
本当に自分の心を満たしてくれるもの。
本当に求めるものは何か難しいですね。
地球上に生きている者たちの中で、言葉を操れるのは人間だけですよね。
言葉はとても便利なもので、自分の気持ちや意見を伝えられる。
言葉を聴くことで人の心情や感情を理解できる。
けれど。自分の心の中をすべて言葉にできるとは限らない。
たとえ出来たとしても、100%伝わるとは限らない。
哀しいけれど、私達はみんなそれぞれ別の人間で、考え方も
心の色も違う。
赤い花と聞いて、私が思い描く赤と、あなたの思う赤は違うかも知れない。
頼麦さんのおっしゃる言葉の限界というのは、そういうことなのかな?と、昨夜の日記ラジオを聴いて思いました。
何度も聴いているのですが、聴いている自分のその時の状態で、感じ方が変わるので。改めて考えてみました。
頼麦さんの詩や日記を読んでいると、短い文章でいろんな心や
考えをピシャリと表現されることに、毎回毎回感心しています。
そう!コレコレ、こういうことなのよ!!って。
そんな頼麦さんが言われる「言葉は要らない」
そういう場面もたくさんありますよね。
何も言葉にしなくても、ただそばに居てくれるだけでいい。
黙って手を握ってくれるだけでいい。
心配している表情や見つめる瞳、差し出されるおさら。
それだけで気持ちは充分伝わる。
けれど、言葉で救われてきた頼麦さんは、言葉の限界も非力さも受け止めた上で、これからも言葉を紡いでいきたい!!と
おっしゃる。
世界に溢れているいろんなものの欠片を拾い集めて、自分の中に落とし込んで、言葉を編み上げていくと。
頼もしい言葉を頂きました。
これからも、頼麦さんの編み上げた「頼麦ことば」を楽しみにしています。
らいむぎ語 わかりやすくて 癒される
紡ぐあなたは 愛の使い手
言葉は愛から生まれると思うから。
何かをするときに
誰かに理由を説明する必要はない
それは、自分に言い訳をする必要も無い
ただ、自由になりたい
そうしたいから、そうするということ
どうして?と、聞かれても
上手く説明出来ない
それは、自分の気持ちだから
そんなとき、言葉は要らないと、思う。
言葉は、時として型にはめてしまおうとする呪文にもなる
言葉の要らない時間は、心が通うときのような気がする。