幸せを運ぶ風

僕らを幸せにする風は

平穏な時間に吹くらしい

心を亡くした時間には

吹いてくれない風らしい

それなら自分の一日に

心亡い時間はないのかな

必死にあおぐその前に

塞いだ岩をどけてみよう

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5 件のコメント

  • つい、相手の事を勝手に深読みしてしまう。
    僅かな仕草や表情の変化、声のトーン、視線などでいつも、『何かしてしまったかな?』とか『あれが原因かな?これかな?』とかグルグルしてどんどん勝手に凹んで、勝手に離れて、勝手に壁を作って閉じ籠もってしまう。
    誰かが悪いわけじゃない。相手が悪いのじゃない。私自身の心の在り方。私自身の問題。むしろ相手からしたら、私は加害者で向こうは被害者かもしれない。なんせよくわからない内に態度が変わってしまう厄介な私だから。相手からしたら、『何で?』『私何かした?』と思う相手も少ないないと思う。
    それでも、硬く閉じた岩を退かせない。殻をどんどん厚くする。閉めた心を何重にも鍵をかけて、フタをする。
    わかってる。嫌われるのが怖い、呆れられるのが怖い、見捨てられるのが怖い、仲間はずれにされるのが怖い、悪口言われるのが怖い、傷つけられるのが怖い・・・・だったら、初めから関わらなければいい。距離を取って、離れて近づかなければいい。
    いつだってこのループ。これに入ると相手とは中々上手く行かない。平穏に穏やかに過ごしたいと願うのに逃げに走って、不穏にしているのはきっといつだって自分だ。
    少しずつでも良いから、岩を動かせる様に、鍵をいくつか外せる様に、殻にひびを入れられる様に変わって行く覚悟と勇気を持ちたいと思おます。
    今日と言う一日をできる限り平穏に送るために。

  • 自分自身の心を見失っていると背中から優しく押してくれる風にも気付けないかもしれないし、
    もしかすると進む道に転がる小さな石さえも道をふさぐ岩に思えてしまうのかもしれない。
    自分の歩く道を心の目で見てしっかり確認することが大切なのかもしれないですね。

  •  自分では、余裕を持って暮らしてるつもりですが、「暇ならこれやって」と、用事を振られるので、敢えて忙しい素振りをしてます。でも、育児や介護は、待ったなしなので、心を亡くしそうになります。幸せになるために、選択をしながら生きてても、その実感が無いのは、やはり塞がれてるのでしょう。岩を力一杯ずらして、風を入れてみます。

  • 穏やかな時じゃないと幸せの風なんて気づけないかも知れない。
    心に余裕を持つというお話ですよね、

    私は仕事をする事が好きだった。
    工房と店舗を行き来して、静と動を同時に味わえた。
    工房では電話やメール対応、製品作って荷造して出荷作業。
    お店では、お客様と直に話して製品を選ぶ姿わ眼の前で見る小売の接客業。
    一番の喜びは大量注文こなしたあとの乾杯。
    頑張って予定通りに終わらせたスタッフと飲むビールは格別だった。

    私の場合は。特に病から脱出して復帰したからかも知れない。
    働けることが嬉しくてしょうがなかった。
    残業さえ喜びだった。
    仕事ができるという歓びに震えていたもの。

    でも「岩」と聞くと病に伏せていた時を思い出す。
    突然トンネルの中、灯りも見えず動けない。
    無気力、無関心、無感動の三拍子。
    いわゆる三無主義を肌で味わった。

    その時、大きな岩があった。
    私の心の中にのさばった大きな岩だ。
    どうにもできなかった。
    風なんか吹かない。 幸せでは決してなかった!!

    そもそも、私達は幸せになるために生きているのでしょうか?
    幸せって、その人その人が感じることだから、
    ある人は岩を見て、パワーが湧き上がって来るかも知れない。
    ある人は、壁に対して、あ〜だ!こうだと考えているときが幸せな時間かも知れない。

    そして今、私は穏やかな日々を過ごしていてとても幸せだと感じています。
    これも、私が感じているだけのこと。
    外から見たら、幸せを運ぶ風など吹いて無いかも知れませんね。

    幸せかどうかではなくて「幸せと感じられるか」が大事なのでしょうね。
    「幸せだと気付ける時間が貴重」なのでしょう。

    頼麦さんの真意を汲み取れているかしら?
    この詩を読んで、改めて考えてみた夜でした、

  • 心に余裕がないと幸せを運んでくれる風にも気付かない。
    そんなお話ですね。

    心を亡くすと書いて忙しいと読む。
    確かにバタバタ過ごしていると、吹いてくる良い風も観じられないかもしれない。

    私の場合は少し違って、長い暗いトンネルの中でうずくまっていた時期があり、三無主義に襲われた。
    無気力 無関心 無感動。
    何もする気が起きなくて、トンネルの出口を岩が塞いでいるというよりも、私の心に居座った岩だったと思います。

    だから、そこから抜け出して仕事に復帰したときは、
    働けることが嬉しくて、残業さえも楽しくて、夜が明けるまで働いた。
    まさに多忙な日々。
    けれど、部屋から見える青空も、工房から出た時に見上げた
    空に輝く星々の美しさに涙が溢れ、自分の心がしっかり動いていることに最高の幸せを感じました!!

    初めての店舗もオープンさせた。
    スタッフの力を借りて。
    記念に自力で車も手に入れた。

    放浪から戻った夫に「よくやった!!」と初めて褒められた。
    一緒に仕事をしていくうちに「気が強くなったんじゃないか?」と問われた事もあったけれど。
    「元に戻っただけよ」私の答えにスタッフが大笑い。

    振り返れば、頼麦さんが言う通り、その時か幸せを運ぶ風か吹いてくれた時かも知れない。
    トンネルの中で心を亡くしていたときは、何にも感じられなかったから。

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