どうにもできないかなしみを
どうしてはこべばいいだろう
ことばにできないかなしみを
どうしてのべればいいだろう
ふれればさされるほどいたく
かくせばこころをそめられる
どうにもできないかなしみを
どうとりあげればいいだろう
ひとときうまれてしまったら
かかえていくしかないんだね
せめてまわりにひろげぬよう
だいじにかかえていようかな
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どうにもできないかなしみを
どうしてはこべばいいだろう
ことばにできないかなしみを
どうしてのべればいいだろう
ふれればさされるほどいたく
かくせばこころをそめられる
どうにもできないかなしみを
どうとりあげればいいだろう
ひとときうまれてしまったら
かかえていくしかないんだね
せめてまわりにひろげぬよう
だいじにかかえていようかな
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痛み分けしましょうよ。
誰かに移すとかでなく、分けて薄めても良いのでは?
抱えて生きるには、ちっと重荷ですよ。
大丈夫。きっと貴方が思うより周りは、影響されないから。きっと寄り添い痛み分けしてくれる存在です。
大丈夫、大丈夫。
痛み分けで薄まったら、きっと少し顔上げられます。
どうにもできないかなしみを
ことばにできないかなしみを
あなたがかかえているのなら
ともにかかえていきましょう
どうにもできないかなしみと
あなたがおもうのでしたなら
どうにもできないのですから
せめてともにかかえましょう
あなたはひとりではないこと
こころのどこかでおぼえてて
人は支え合って
初めて 人 の字になる
そして 間を つけて
初めて 人間 だよ
私は 間は 仲間の間 だと思う
もし共有出来たなら 痛みも軽くなるかな
1人でない事 忘れないでね☺️
らいむぎさんが自由に言葉を綴ることができる場所だから私達にも解放された場所なのだと勝手に認識していたのですけれど、
「自分の経験を他人に預けようとする」というブログのコメントを読んでショックでした。
まるで自分に言われたようで、勝手に。
誰かに間接的に言葉で攻撃されているような気がしてしまいました。
多くの方は痛みを分け合おうと言ってくださる。
でも全ての人とそうできるわけではないのですよね。
やはりこの詩のように周りに広げないように自分でかかえているべきなのかもしれないと思いました。
自由であって自由ではない。
支え合うとは難しいことなのだと思いました。
自分の心を解放するということも。
色々とすみませんでした。
ありがとうございました。