さくらの立ち木の下に寝て
その木の肌を見つめてた
春の花弁の満開と
およそ似つかぬ醜い肌
背中を預けた斜面には
まるでうねる大蛇のよう
大地をつかんで離さない
たくましい根が這っている
僕らはさくらと聞いたなら
花先ばかりを思うだろう
だがその下をとくと見よ
輝く理由がそこにある
スポンサーリンク
詩 夜咄頼麦

さくらの立ち木の下に寝て
その木の肌を見つめてた
春の花弁の満開と
およそ似つかぬ醜い肌
背中を預けた斜面には
まるでうねる大蛇のよう
大地をつかんで離さない
たくましい根が這っている
僕らはさくらと聞いたなら
花先ばかりを思うだろう
だがその下をとくと見よ
輝く理由がそこにある
スポンサーリンク

桜の多い、場所がある。然し、多くの人々に、多くの桜が利用される。益々、桜には桜たる権利が無くなり、その内開発という波に多くの桜の木達は飲み込まれて行く。
桜が桜たる理由があるならば、桜にそこで立派な根を張り、ゴツゴツとした太い幹を育てる為の、環境を人間が桜にそこにいてもいいんだよ。と言う環境を与えてあげなければ、桜は桜たる所以が無くなる。
それでも桜の季節が来ると、桜は満開の花を咲かせて不平不満も言う事無く花弁を呆気無く散らす。
ただ存在する桜の木、立派な根っこを人々は見ない。
人間が安心基地を求める様に、私は桜の木達にも、安心基地を与えてやりたい。
桜の季節の見物は、それ以降に始まる。
少なくとも、私はそう思う。