知らぬ顔で通り過ぎた彼と
立ち止まっただけの僕
なんの違いがあるだろう
道端のまだ新しい鳥の死体
飛び散った羽と肉に群がる
蟲 蟲 蟲
草地に移してあげるだけ
僕にはそれができなかった
あまりにおぞましい死の姿に
僕は一歩も動けなかった
うごめく蟲についた血は
どれだけ拭い去ろうとしても
一生消えることはないだろう
以前
知らぬ顔で通り過ぎた僕と
立ち止まっただけの僕
なんの違いがあるだろう
本質は何も変わっていない
合掌を免罪符にしようとする
偽善 偽善 偽善
手を差し伸べてあげるだけ
僕にはそれができなかった
ただ一つ変わったとしたら
立ち止まった僕の目には
一生消えぬ光景が焼き付いた
どれだけ拭い去ろうとしても
一生消えることはないだろう
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無邪気という言葉があるように、悪気のないありのままの心は思ったまま行動しますが、様々な教育や周囲の関係を見ていくうちに、少しずつ我慢したり、身の危険から保身を優先したりして、罪悪感を抱えながらそれを引き受けて人は生きていくのだと思うんです。
世の中見てみぬふりって、たくさんありますよね。
全部が全部手を差し伸べられる訳でもないし、時には見ぬふりも大事なのはわかるのですが・・・。
生まれたときから、生を受けた時から、生き物全ては死へと向かって進みます。
それが寿命なのか、自殺なのか、他殺なのか、事故なのか、災害なのか、戦争なのか、こればかりはきっと神様でもわからないでしょう。
毎日何かの命が終わっていきます。それでも、生きている生き物は変わらず生きていかねばなりません。
どんなに苦しくとも、どんなに悲しくとも、どんなに寂しくても。
生きている限り、明日は来ます。
死を目の当たりにして、立ち止まり自分と向き合った頼麦さん。偽善だなんて自分を責めないで。偽善と善意、正義と悪などと世界は2つに分けられなせん。これらは人によって、全く違う答えになるから。どちらが、良いも悪いも、敵も味方もないのです。
迷ったら真ん中でも良いんです。
大丈夫、大丈夫。偽善だって良いんだから。偽善上等です。
たとえどんな悲惨な最期を迎えたとしても、そんな自分の姿を写してくれた人が優しいこころを持った青年だったならば、きっと幸せだったのではないでしょうか。
そして、その酷さに心震える青年も、多くの優しい心に包まれて、またゆっくりと心が癒えていくことを祈ります。
何故か
自分の中で
葛藤してるよな
答え
出したいけど、出て来ない
迷い子
死と偽善 なんと重いタイトル。
どしゃ降りでずぶ濡れの人にさーっと傘を差してあげられる?
重い荷物を持って歩きにくそうな人に「お持ちしましょう」って声をかけられる? いつもだよ。
スルーすること多くない?
そんな軽い話しじゃないって?
根本は同じことだよ!!
私もね、若い頃ハンカチを落とした人に「落としましたよ」ってハンカチを渡したことがある。
でも大人になるにつれて、人には色んな思惑があってと気づいてくると、この人は嫌いなハンカチを捨てるのは気が引けるから、落とした振りをして捨てたのかも知れないなんて
変な事を考えて、シンプルに拾えなくなった。
それでもね
年を重ねていくとそういう機会にたくさん出くわすのよ。
今やっておけば、今声をかければって後悔することをいっぱい経験するのよ。
そして、いつか あ!今!やるときって自然に動けるようになる。
さて、鳥の死骸。
素通りする自分と動けない自分。
どちらも自分の一部だからね。
これだけ悩むのは、どちらも受け入れているのよね。
手を差し伸べられなかった後悔から、あなたは合掌する。
そしてそれを偽善だと自身を責める。
何故だろうかと考えた。
偽善と自分を責めることで心が楽になるのかも知れない。
自分の心を守るためなら良い。
でも、偽善って上辺だけの事だよ。
あなたは心から手を合わせてると私は信じる。
私もね
昔、私の店の近くの道路脇で死んだ猫が転がっていた。
以前なら素通りしたと思う絶対。怖いもん。
その時はノータイムで保健所に連絡した。
その年に愛するペットを、亡くしたからだと思う。
だから、
偽善と言うより未熟と言う方がしっくりくる。
私達は、未熟と成熟の間を行ったり来たりしながら生きていると思う。
でもさ、未熟だから動ける。
成熟したからこそ動けないって事もあるのよね。
パラドックス!!
ああ~なんて難しい事を投げかけるの?
また長文になるやん!って頼麦さんが憎らしくなる!
でもね
自分の心の底や、ほんとの気持ちを改めてさらえるって
自分を再認識できて幸せな事だと思う。
頼麦さんが発する色んな気持ち、悲しい、辛い、楽しいこころ
それを考えるだけで、凄く刺激になっていること気づいています。
頼麦さんに感謝を込めて ここに「合掌」しますよ。
私はずっと自分のことを偽善者なのかもしれないと思っていました。
それでも色んなことに感謝の想いを込めて手を合わせ祈ります。
目の前の光景に
衝撃を受けたのは
命の尊さ儚さを知っているから
良心の呵責に
苛まれながらも
手を合わせた
その姿に嘘はない
それを偽善だとは
何人たりとも
言えはしない
それでも
心に引っかかった分銅は
人生の足枷ではなく
生きる力となる