きのう
あれほど越え難く険しかった壁が
あまりにも高く
あまりにも厚く
越える望みは無く思えた壁が
たった一夜
君と言葉を交わしただけで
きょう
いつの間にか僕の後ろに立ち
あまりにも柔く
あまりにも強く
背中を支えてくれるのは何故だろう
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詩 夜咄頼麦
きのう
あれほど越え難く険しかった壁が
あまりにも高く
あまりにも厚く
越える望みは無く思えた壁が
たった一夜
君と言葉を交わしただけで
きょう
いつの間にか僕の後ろに立ち
あまりにも柔く
あまりにも強く
背中を支えてくれるのは何故だろう
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頼麦さんの詩を読んで、改めて思ったけれど
私は「壁」というものに当たった事がないかも?と感じました。
きっと才能のある人にだけ訪れるものではないかな?と。
そう言えばイチローさんも話してらつしゃいましたよ。
「壁っていうのはできる人にしかやって来ない
越えられる可能性がある人にしかやって来ない
だから、壁がある時はチャンスだと思っている」と。
勿論生きてきた中で、色んな事に遭遇しましたし
端から見たら「波乱万丈な人生」だと言われます。
しかし、私が壁と感じていない以上それは「壁」ではなくて
多分、捉え方の問題かな?と思います。
、
小さな事で言えば、語学の勉強を例にとると
確かにいわゆる“言葉の壁”みたいなものはありますよね。
日常会話は出きるけれど、文法をキチンと説明できるか?
となると、そこに行くためにはやはり小さな何かを越えなければならない。
もっと深く話すにはもっとこのラインを越えなければって・・
けれど私は壁というより“山”と捉えてるのかも知れないと
今回の詩を読んで気付きました。
“山”だと越えやすい気がします。
これは私の性分からくる感じ方かもしれません。
共感したのは、目の前に立ちはだかつていた壁がいつの間にか
背中に有って、それはその人と言葉を交わしただけで起こったこと。
人が一番影響を受けるのはやはり人だなんだなと思います。
大事な人だと特に心に響きますよね。
私も色んな場所で出会った人の言葉に背中押されることも
多々有りましたし、本当に救われました。
もうひとつ、文章もそうだった。
20代後半、理不尽な物事に遭遇した頃に生きることとか
人間関係とかに悩んで居たときにひとつの文章に出逢いました。
「桶から桶への間かな」というある俳人の句。
つまり悩んでたつて、人生なんてそんなに変わりはなくて、
産湯に浸かる桶~亡くなって入る棺桶までの間の事なんだと。
読んだ瞬間 ぱあっと霧が晴れるように「なあ~んだ。そっか!!」と深く府に落ちて何故かわからないけれど
凄く楽になった記憶があります。
人は一人では越えられないものも、人や文章に支えられて
生きているのですね。
12行の頼麦さんの素敵な詩に対して、私はどれだけ
言葉を使うのだろうか・・・といつもながら
頼麦さんの的確な表現力に感服します!!
信頼と自信を得たときの気持ちに似てます。
壁を越えたとき、強くなった気がするけど、本当は柔らかくなったんだなと、詩を読んで思いました。
ライ麦さんが書いた詞なのですか?初めて読みました。コメントしている方たちも、かなり深く考えてらっしゃるなって思いました。私は地方で結婚し、初めての経験ばかり、子育てや嫁姑問題など本当に高くて、分厚い壁ばかりでした。
私がこの詩を読んだら、支えてくれてる愛の告白の様な。