【フリー台本】眠りの森【1〜4人用 |55分】

眠りの森

頼麦 作

ー ぼくの居場所は、ここにあったんだ ー

 

この文章の著作権は夜咄頼麦に帰属しますが、朗読についての著作使用権は解放しております。YouTubeでの朗読、声劇、そのほか音声表現活動などで自由にお使いください。

その際、この原作ページのURLを作品などに掲載していただきますよう、お願い申し上げます。

一 欠落

(居たくもない場所だけれど、他に行くあてもない。)

「ない。ない。ない。」

苗を一本植え付けるたびに、ため息まじりにつぶやきます。

(僕の居場所なんて、風花村にはないんだ。)

「これで、しまいだ」

リウは最後の一本を強く植え付けると、少し反動をつけて身体を起こし、胸を開いて伸びをしました。

頭上には今にも雫を溢しそうな分厚い雲が広がり、見上げるだけで気が塞がってくるようです。

(昨晩は随分と降ったらしい)

少し目を落とすと、手前の低い土手越しに、対岸の葉桜の頭がのぞいていました。

(もう少し晴れたら、緑も嬉しそうに輝くのに。もう、しばらくは見られないかも知れないな。)

今年は梅雨の入りが早かったようで、ベアおじさんは慌てて苗を準備していました。

例年、風花村では、本格的な雨の降り始める前に田植えを行います。

少年は(今年は急かされた分、おじさんに多めにお駄賃をもらおう)と思いました。

リウは、土手を登る算段を立て始めました。

(左は少しぬかるんでいるから、右から回った方がいいかな。滑って泥水に落っこちたりしたら、笑えない。)

深く埋まった右足を勢い良く踏み出すと、はねた泥が背けた顔の頬にかかりました。

(避けたはずなのに。まったく、ついていない。)

せっかく植えた苗たちを踏み荒らさぬよう注意をして進み、水路をまたいで、緑の生い茂った坂を登ります。

シャクッ。シャクッ。

踏み出す足に、朝露が冷たく触ります。

リウは土手を登り切ると、無造作に脱ぎ散らかしたままの左右のわらじを拾い、歩き始めました。

川は昨晩の雨でわずかに増水し、脇に枯れ草が浮かんでおります。

リウは対岸の葉桜の緑が目に鮮やかなこの季節を待ち望んでいました。

(みんな満開の花びらばかり見て喜ぶけれど、僕は精一杯に陽の光を受けようと茂る、力強い緑が好きだ。)

しかし、今年はゆっくり新緑を楽しむ間もなく、梅雨が来てしまいました。

(お天気まで僕にいじわるをする。もっとも、嫌がらせにはもう慣れたけど。)

リウは、悲しげに目を落としました。

しばらく行くと、右手に壊れた橋が見えてきました。

リウはいつも(壊れた橋を直せば楽にお店まで行けるのに)と思って生活しています。

何度か母さんにそう言ってみましたが、その度に悲しそうな目をされるため、最近のリウは口に出さないようにしていました。

聞いた話では、亡くなったリウの父さんが架けようとした橋らしいのですが、当時のリウは生まれてすぐで、当然覚えていません。

(父さんって、一体どんな人だったんだろう。そもそも、どうしてうちの家族だけ、川のこっち側に住んでいるのかな。向こう岸には広い田畑も、甘夏園も、美味しい魚の住む川だってあるのに。)

ぼんやり考え事をして、古びた橋の残骸を眺めていますと、不意に

「おーい!ピーチク!」と呼ぶ声がしました。

声の主の方に焦点を合わせてみますと、壊れた橋の反対側にグズマとブッソが並んで立っています。

二人は、村の数少ない同い年の少年で、川の反対側に住んでいました。

グズマは村長の息子のやな奴で、ブッソは米屋の息子の、同じくやな奴です。

どちらも裕福な暮らしをしており、上等な青い服を着ています。

二人の住むお屋敷は外から伺うだけでもなかなか立派でした。

「昨日の祭り、なんで来なかったんだよ!ま、どうせ花を買う金がなかったんだろ!」

と、グズマが手を腰に当てて言いました。

リウは必死に返す言葉を考えましたが、花を買えなかったのは事実で、何も言い返せませんでした。

風花村の北の神社には古くからの祠があり、風の神が祀られています。

風の神人々に、森の恵みだけではなく、農作物や漁業への被害、疫病をももたらすと伝わっていました。

そのため、村では風神祭と言って、田植えの前に風神を鎮めるための祭事を行い、秋の豊作を願うのです。

祭りでは、日中に神輿で村を練り歩いた後、祭殿で清めの儀式をとり行います。

夜には村の一人一人が無病息災を祈って、風の神に模したヒルコ草の花を川に流します。

そして、ヒルコ草は森の奥地にしか生息せず、貴重なために高価でした。

その日暮らしのリウの家族には、到底買えません。

リウが何も言えずにいると、ブッソがグズマの脇から言いました。

「花を流せなかったんだ、お前の母ちゃんひどくなるぜ」

リウの胸がサッと冷たくなりました。

冷たくなった胸の底から、じわりじわりと悲しみが広がっていきます。

(どうして人に向かって、平気で心ない言葉を投げるんだろう。)

心優しいリウには、わかりませんでした。

自分について言われるのはよかったのですが、母親を悪く言われることは我慢がなりません。

とは言っても、母親譲りで身体の弱いリウには、反発できませんでした。

リウは悔しさを押し包み、橋の袂に咲いたユウゲショウを見下ろしました。

にじんだ緑に淡い紫の点々がぼんやりと見えます。

やけに川のせせらぎがうるさく聴こえました。

リウが黙り込んでしまったのをみると、グズマとブッソはつまらなそうに顔を見合わせ、川沿いの散歩道をくだっていきました。

目の端に、ボーっと二つの青い影が遠くなっていきます。

(あんな上等な服を僕も着れたらな。草木染めの上着なんて、夢のまた夢だ)

リウはしばらくそうしていましたが、フーッと長めに息を吐くと、気持ちを入れ替えました。

(そうだ、今からおじさんにお駄賃をもらいに行くんだった。悪口くらい、なんてことはない)

リウは壊れた橋に背を向けました。

二 博愛

リウはベアおじさんの庭の飛び石を順番に踏んで、戸の前に立ちました。

「おじさん!終わったよー!」

「ほいほいほい、今行くよ」

奥からおじさんの声がして、玄関の引き戸が開きました。

「あぁあぁ、泥だらけにして。布を持ってくるから、少し待ちなさい」

おじさんは一度、左奥の水場へ戻り、少し濡らした手ぬぐいを持ってきてくれました。

リウは、足先の乾いてきた泥をこすり落としながら、こう言いました。

「おじさん!今年は急いで植えてるでしょ?ちょっと多めにしてよ」

「ほう、多めかぁ。リウも商売上手になったもんだ」

おじさんは柱に手をかけ、目を細めて笑いました。

リウは、おじさんのこの表情が大好きでした。

「じゃあ、こうしよう。少しだけお駄賃を多めにあげるから、何か母さんに孝行をしておやりなさい。」

「ほんとう!やった!うん、そうするよ!」

リウは草鞋を履き、空いた手で駄賃を受け取ると、汚れた手ぬぐいをおじさんに返して駆け出しました。

「おじさん!ありがとうー!」

(今日は何か、母さんの好きなものを買ってあげよう。何がいいかな。何がいいかな)

母さんの喜ぶ顔が目に浮かびます。

「おいおい、足元に気をつけるんだぞ!」

後ろから、心配するようなおじさんの声が聞こえました。

リウは返事の代わりに腕を振って、飛び石を踏んで家に向かいました。

リウの家は、おじさんの家から、そう遠くありません。

程なく、リウはうちの生垣を走り抜けました。

綺麗に整えられた青い紅葉が、リウの通った風で葉を揺らします。

「おっと、ごめんよ」

リウは羽のような紅葉の実に向かって謝りました。

家の庭は、隣に住むリウのおじいちゃんが隅々まで手入れをしており、小さいながらも季節折々の表情を見せてくれます。

走り抜ける間にも、芝を刈った後の草の香りが鼻につきました。

玄関先の水場で足を洗い始めると、側の石の上で日向ぼっこ中だった飼い猫のグレに、水が跳ねてしまいました。

グレはちょっと嫌そうな顔をして、ジーっと抗議の眼差しを向けました。

グレは気分屋です。

意にそぐわないことがあると、しばらくの間フラリといなくなってしまうこともあります。

グレはむすっとした表情をして、裏の方へ、のそのそと歩いて行きました。

リウは濡れたまま土間に敷いてある大きな布で足踏みをすると、

「ただいま

と、母親の部屋の戸を開けました。

リウの母親のランは、畳に布団を敷いて横になっていました。

「おかえり。早かったね」

ランはこちらに顔を向けると、コホンコホンと小さく咳をしました。

「母さん、もう起きてたの。具合はどうだい?」

リウは心配になって、布団の側にしゃがみました。

「大したことはないよ。少し息が詰まっただけさね」

「水を持ってこようか」

「構わなくていいよ。今日は随分と調子がいいんだ」

「そうだ母さん、今日はおじさんから多めにもらったんだ。何か、母さんの好きなものを買ってくるよ!何がいい」

「そうねぇ、久しぶりによく熟れた甘夏を食べたいねえ」

「甘夏だね、わかったよ母さん。遅くならないようにするから、休んで待ってて」

「そうさせてもらうよ。ああ、リウ。風神様の森には入らないようにね。最近、妙な噂を聞くから」

ここのところ風花村では、風神の森に山菜やキノコを採りに入った大人たちが夜になっても帰らない、不思議な事件が起きていました。

心配した大人が探しに出かけると、その人も帰って来ないのです。

結局、リウたち子どもが探しに行くと、大人たちは森に入ってすぐの木の下で眠ってしまっているのでした。

そんな訳で、近頃は風神の森を「眠りの森」と呼ぶ村人もおりました。

「わかってるよ母さん!とびきりの甘夏を買ってくるよ!」

そう言うとリウは土間に置いていた草鞋に足を通し、戸口から外へ飛び出しました。

三 消沈

外にはまだ少し、朝霧がかかっていました。

澄んだ空気を肌にひんやりと感じます。

家の前の小道から見えるアヤメ池の向こうには、うっすらと霞んで、リウのお気に入りの東屋が見えました。

アヤメ池というだけあって、池にはアヤメと似た花が一面に植わっていました。

「アヤメじゃなくて、カキツバタなんだよ」

母の声が思い出されました。

(昔の人も、よく見分けないままに池の名前をつけるなんて、おっちょこちょいだ。まあ、カキツバタ池より、アヤメ池の方が言いやすいけど。)

リウは森の入り口のヤマボウシをくぐり、池沿いの散歩道に入りました。

散歩道は、日に日に緑が迫ってくるようです。

足元には、散り始めたヤマボウシの白い花が、うっすら枯れた竹の葉に混じって敷き詰められていました。

散歩道の脇には、花々が表情豊かに咲いています。

イモカタバミに、ハルジオン、ニワゼキショウに、ムラサキツメクサ。

見惚れながら歩くと、宙に浮いた竹の葉が顔にぶつかりました。

「えっ!あぁ、なんだ。蜘蛛の糸か」

リウは驚いて、少し立ち止まりました。

(いつだって僕だけ引っかかるんだ。朝早くに出歩くからかな)

蜘蛛の糸にまで、からかわれているような気がしてなりません。

と、今度は目の端で何か動いたようでした。

散歩道の土の上によく目を凝らすと、トカゲがいます。

全身が茶色がかっており、すっかり地面に同化していました。

「道の真ん中にいると踏んでしまうよ。森におかえり」

リウは、トカゲを運んでやろうとして、ふとおかしな点に気づきました。

このトカゲには尻尾が二本あります。

おかしいと思って近づいてみると、どうやら一匹のトカゲが、もう一匹にしがみついているようでした。

必死に掴まっている方のトカゲの心拍は、少し弱々しく見えます。

リウは心配になりました。

(怪我した仲間を運んでいるのかな。無事に家まで帰れるといいけど)

リウは、草むらまで運んでやろうと、トカゲたちに手を近づけました。

その途端、絡まっていた二匹のトカゲがにわかにほどけ、一斉に草むらに走り込みました。

リウは驚いてしまって、湿った土の上に尻餅をついてしまいました。

トカゲは森の方に入ったのか、もう姿は見えません。

リウは立ち上がってお尻を両手で払いながら、

「蜘蛛の糸の次はトカゲか。心配して損した」

と、ため息をついて再び歩き始めました。

東屋のある孤島に続くツイサ橋に足をかけると、頭上で野鳥が甲高い警戒の鳴き声をあげました。

(そんなに激しく鳴かなくてもいいのに)と、リウは思いました。

「誰か来た」

「誰か来たよ」

「驚いた」

「驚いたね」

リウは

「ごめんよ、驚かせるつもりはなかったんだ。少しおじゃまするね」

と、ちょこんと頭を下げ、木の板を重ねた橋を渡りました。

リウには特技があり、森の小鳥と話すことができます。

物心ついた頃には小鳥の話す言葉が分かりましたが、家族以外、誰も信じてくれませんでした。

(今日は、白い鯉はいないや。)

リウは池の向こうを眺めました。

遠く霞む景色は墨のようです。

ピンと張ったような水面に映るカキツバタが帯のように見えました。

浮き藻を縫うようにアメンボが泳いでいます。

東屋の辺りは水の流れが少し聞こえるくらいで、自分の鼓動が聞こえるほど静かでした。

リウは、心を落ち着かせる時や考え事をする時には、よくこの東屋にやって来ました。

東屋の周辺は、村の中心部から少し離れており、あまり人がやって来ません。

リウにとっては、とっておきの秘密基地でした。

「はぁ。グズマにブッソ、蜘蛛の糸にトカゲ。どうしてこう、みんな僕をからかうのかな」

リウは大きなため息をつきながら、東屋の腰掛けに座りました。

ボーッと目の前の杉材の柱を見つめます。

緩やかに流れる水音に耳を傾けていますと、不意に東屋の梁の上から、小さな声がしました。

「悩み事かい」

リウは驚いて、頭上を見上げました。

「びっくりした!なんだ、サコちゃんか!声をかけるなら、先に声をかけてよ!」

声の主は、よく話し相手になってくれる、尾の長い小鳥のサコでした。

「ヒーホイ、何を言っているんだ。浮かない顔をして、どうかしたのかい?」

「なんだか、何もかもうまくいかないんだ」

「うまくいかない?」

「うん。さっきも、グズマのやつがね、祭りに来なかったことを言ってきたんだ。言われると嫌なことをわざわざ人に言うなんて、ひどいと思わない?」

「それはひどいね」

「僕の家は余裕がなかっただけなんだ。そんな理由だけで、どうして責められなきゃいけないんだろう」

「人間は思いやりがないといけないね」

「そうでしょう。僕はグズマをどうしても好きになれない」

「そうかい」

リウは柱の木目をぼんやりと見つめました。

風は無く、少し遠くから縦笛のような、ウシガエルの呼び声が聞こえます。

しばらく沈黙が続いたのち、サコが口を開きました。

「そのご友人の父親に伝えて欲しいんだけど」

「グズマの父親。ナガミ村長のこと?」

「ああ。森の開拓をやめない限り、森は恵みを減らす。君たちを歓迎しないと伝えてくれ」

そう聞いたリウは驚きました。

(じゃあ、大人が眠ってしまうのは、サコちゃんたち、森の意思だったんだ。)

「わかった。今から村に行くから、ナガミさんに伝えてくるよ」

リウは立ち上がり、

「早くみんなに伝えなきゃ」と、少し早足で村に向かって歩き始めました。

小鳥は、少年の後ろ姿をじっと見つめていました。

四 不信

橋をもう一つ渡ると、池の反対側に着きました。

普段は鳥居の方の参道をゆっくり歩いて行きますが、今は急ぎの用があります。

リウは手前の道を曲がり、甘夏園を回って村に行く道を選びました。

池のこちら側は、リウの家の周りとは様子が違いました。

小道沿いに生えた花々はしおれ、杉林には切り株が目立ちます。

やまめ川に見られる魚とりの仕掛けも、なかなか魚がかからないためか、外されてしまっていました。

ホイサ橋を渡ると、左手に甘夏園が見えて来ました。

この甘夏園は、果物屋のチガヤさんが管理しています。

熟すとほっぺがとろけるほど甘いのですが、今年は不作のようで、実の数も少なく見えました。

甘夏園の向こうには開拓地が見え、土は掘り返され、杉はなぎ倒されています。

風花村は元々、豊かな森を切り拓いてできた、小さな集落です。

村の人々は、尽きることなく流れる川沿いで自然と共に生き、恵みを存分に享受しながら命を繋いできました。

近年は、より豊かになろうと欲をかいた大人たちが森をどんどん開拓しています。

しかし、どういう訳か、豊かになるための開拓を進めれば進めるほど、自然の恵みは減り、生活は貧しくなってきていました。

森に異変が起きているのです。

リウは小鳥のサコとの会話を思い出し、歩を速めました。

高い竹垣を回り込むと、ナガミ村長のお屋敷の立派な門が見えてきました。

森で取れる杉の木を何本も使った、頑丈な門です。

リウは門の前に立つと、

「ごめんください」

と声をかけました。

しかし、奥の方で忙しなく動き回る人々は、誰も気づいてくれません。

「ごめんくださーい!」

リウは、一段と声を張り上げました。

すると、奥の方から使用人のバンソが降りてきて言いました。

「何か用かい」

リウは、異変を伝えたくて、必死に言葉を紡ぎました。

「小鳥が教えてくれたんですけど、今、森の方で大変なことが起きているんです!ナガミ村長はいますか?」

すると、バンソはけげんそうな顔をして言いました。

「あいにく、今はそれどころではなくてね。小鳥のお話なら、お友達にでもするといい。さぁ、帰った帰った」

リウは、門の前で追い返されてしまいました。

(どうして話を聞いてくれないの!大変なんだ!このままじゃ森に入れなくなっちゃうかも知れない!)

リウは居ても立ってもいられず、お屋敷の隣の、役場の門をくぐりました。

(今度こそ伝える!)

リウはずんずん中に入っていきました。

すると、奥で談笑していた役人のヒゲさんが気づいて、こちらにやってきました。

「なんだ坊主、こんな朝っぱらから」

「ヒゲさん聞いてください!森が大変なんです!」

「森が、どうしたって?」

「開拓を森が嫌がってるって、小鳥のサコちゃんが教えてくれたんです!」

ヒゲさんは奥の仲間に目配せをして、クックックと笑いました。

「おいおい坊主。そんな歳にもなって、まだ小鳥とおままごとをしているのか?」

後ろの方で仲間達がクスクス笑います。

「森を開拓することの何が悪いってんだい」

「開拓をやめないと、森は僕たちを眠らせ続けます!十分に恵みがないのも、無理な開拓のせいなんです!」

「なるほどねぇ。だが、それはのめねぇ話だな」

「どうしてですか」

「俺たちゃあ、これが仕事なんだよ。恵みがないだぁ?それならまた開拓すりゃあいいじゃないか。足りないものは補っていけばいい」

リウは、何とも言い表せない気持ちになりました。

何より、大人たちに自分の発言を相手にしてもらえないことに、悔しさを感じました。

しかし、今のリウにはどうすることもできません。

(大人には、本当に大事なものが何かわからないんだ)

リウは役場の豪華な床の模様を目でなぞりながら、外に出ました。

(どうすればいいのだろう。僕にはもう、何もできないのかな。何も、変えられないのかな)

リウは両手を強く握りました。

五 奮起

リウがポツンと役場の前で立ち尽くしていると、何やら騒がしい声が聞こえてきました。

どうやら、ナガミ村長のお屋敷の方からです。

リウはぼんやりとしながら、門越しに中を覗きました。

お屋敷の前庭に面した和室に布団が敷かれ、ナガミ村長が寝かされていました。

先ほど川で声をかけてきたグズマが帰ってきており、高熱を出した父に寄り添っています。

ブッソはグズマの側で震えておりました。

どうやらナガミ村長は急病の様子です。

「おい、まずいぞ。こりゃあチカ熱だ」

「ヒルコ草はどこ!?薬を飲まさないと!」

「だめだ、昨日の祭りで全部川に流しちまった」

使用人同士の話し声が聞こえます。

「じゃあ誰か、ヒルコ草を取ってきてよ!!」

グズマが叫びました。

使用人は皆、黙り込んでしまいました。

チカ熱は、高熱や胸の痛み、関節痛を伴い、早く治療しなければ命に関わるほどの病です。

しかし、唯一の特効薬のもとになるヒルコ草は、急な崖もある風神の森の奥地にしか生息しません。

最近は大人が立ち入ると眠ってしまうために、なおさら危険で、取りに行くのは難しい状況でした。

「どうして誰も行ってくれないんだよ!父さんを助けてよ!」

グズマはすっかり取り乱してしまっていました。

手はずっと父の手を握っています。

頬を濡らして周りを見回したグズマは、門の側のリウに気づきました。

グズマは縋るような目でリウを見ました。

「リウ」

グズマの声は震えています。

「頼む」

リウはなんだか、身体の芯がブルブルっと強く震えたように感じました。

そして、気づいた時には風神の森に続く道を駆け出していました。

つき当たりの角を曲がって真っ直ぐ、果物屋も甘夏園も駆け抜けて、羽衣橋をひとっとび。

鳥居だけは少し頭を下げ、立派な二本の葉桜をくぐりました。

(強そうに見えたグズマたちだって同じ人間なんだ。あれは混じりっけない親子だった。やなやつだけど悪人って訳じゃない。助けたい)

リウの心はすっかり奮い立っていました。

いつものリウなら、ここまで必死に走らないかも知れません。

腹の底で静かに燃える何かが、リウを駆り立てていました。

まだ微かに祭りの匂いの残る舞台を右に回って、奥の階段を上ります。

上り切った広場の古びた祠には、風神が静かに祀られていました。

リウは立ち止まって祠に近寄り、心の中で非礼を詫びました。

本当はゆっくりご挨拶もしたいところですが、今は時間がありません。

(風神様、どうかお護りください)

リウは、改めてお供え物を持ってくる約束をすると、祠の右手の獣道を分け入っていきました。

六 冒険

細い獣道のすぐ左は崖でした。

道はどんどん、どんどん下っていきます。

森の中は薄暗く、聞き慣れない動物や鳥の鳴き声がしました。

ケーン、ケーンと鳴くのはキジでしょうか。

森が大好きなリウでも、ここまで奥に踏み入ったことはありません。

リウは内心、不安でいっぱいでした。

おまけに足元は昨日の雨で少し緩んでおり、何かに掴まっていなければ危険です。

リウは高く伸びた竹に掴まって、少しずつ下っていきました。

太い竹は安定しておりましたが、細い竹はたわみます。

じっくり選んで掴んだ竹から、コガネムシが飛び立ちました。

「わっ!」

コガネムシは木漏れ日にキラリと光って、林に消えていきました。

斜面はびっしりと竹の葉で覆われています。

隙間から生えたたけのこが、陽の光を浴びようと背伸びをしています。

森の中では、誰もが必死に生きています。

リウはあたりを見回しましたが、どこにもヒルコ草の白い花は見当たりません。

「どこまで行けば見つかるんだろう」

リウがつぶやいた矢先、見下ろした少し先に白い影が映りました

(ヒルコ草かも知れない!)

白いものには竹の葉が被さっており、うまく見えません。

リウはバランスをとりながら、一所懸命に手を伸ばしました。

もう少しで、もう少しで、届きそうです。

(あと少し、もう少し…!)

伸ばし切った指先が、白い影を掴みました。

しかし、近くでよく見ると、それはオキナタケでした。

リウが落胆の表情を浮かべた途端、体重を乗せた左足が地面ごと滑りました。

「危ない!!」

慌てて掴んだ竹は細く、十分に身体を支えられません。

スルスル滑る竹についた節で、リウの手のひらは擦り切れました。

手当たり次第に縋ろうとしましたが、その甲斐はなく、勢いは止まりません。

(まずい!まずいまずいまずい!)

リウは暗い森の崖を転がり落ちていきました。

気がつくと、ボーッと丸い緑の光が視界に映りました。

(なんだろうきれいだな)

次第に意識がはっきりしてくると、それは蛍の光だとわかりました。

すぐ近くで水の流れる音がします。

身体を起こすと、リウが居たのは美しい眺めの川辺でした。

緑のトンネルの下を、澄んだ水がチロチロと流れていきます。

そびえ立つ立派な杉の木にはびっしりと苔が生え、どこを向いても圧倒されるばかりでした。

蛍の光が水面にぼんやりと映り、それはもう幻想的な光景です。

リウは、お尻の下がふっくらと柔らかいのに気づきました。

目を向けると、それは探し求めていたヒルコ草でした。

蛍の光に照らされた白く儚げな花が、川に沿ってびっしりと生えています。

どうやら杉の葉の積もった柔らかい地面と、たくさんのヒルコ草が、落下したリウを助けてくれたようです。

身体はなんともありませんでした。

「森が守ってくれたんだ」

リウはつぶやきました。

川辺の空気はとても澄んでおり、居るだけで全身が浄化されるようでした。

リウは、胸いっぱいに深呼吸をしました。

抱えた悩みが一斉に溶けていきます。

「無事でよかったよ」

不意に頭上から小さな声がしました。

見上げると、長く突き出した枝に小鳥のサコがとまっています。

「びっくりした!声をかけるなら、先に声をかけてよ!」

「ヒーホイ!すまないすまない」

サコは小さく笑いました。

「ここは秘密の花園さ。本来、僕らは姿を見せないけれど、他でもない君だから今回は特別だよ」

よく見ると、周りの茂みから可愛らしい頭がちょこん、ちょこんとのぞいています。

りすに雌鹿、兎に亀。小熊に、空に舞う見たことのない動物までいました。

「ヒルコ草が要るんだろう?一輪持っていくといい。帰り道が分からないだろうから、案内してあげる」

サコはそう言って、緩やかな坂道の始まる方へ飛び移りました。

「でも、ここのことは内緒だよ」

リウは頷くと、そっと左手の側のヒルコ草を摘み取り、見守ってくれた動物たちに、

「どうもありがとう」

と挨拶をしました。

そして、もう少し残りたい気持ちを抑えて、一輪の誇りを胸に、みんなの待つ村に向かって坂を登り始めました。

七 萌芽

森を出ると、すっかり陽は傾いておりました。

祠の裏手にやってくると、リウは

「サコちゃん、本当に助かったよ。送ってくれてありがとう」

と、森の出口を振り返りました。

しかし、もうサコの姿はありませんでした。

返事の代わりに穏やかな風がリウの頬をなでました。

リウはたった一本のヒルコ草を握りしめ、ナガミ村長のお屋敷に戻りました。

使用人のバンソにヒルコ草を渡すと、いつの間にか集まっていた村中の人々が歓声を上げました。

「おい、リウのやつがやってくれたぞ!」

「風神の森に一人で入って帰るなんて、度胸があるのね」

「きっと、小鳥と話せる特技のおかげだな。見直したよ」

ヒルコ草を煮詰めて煎じた湯を飲ませると、ナガミ村長の症状は落ち着きました。

熱にうかされた様子もなくなり、呼吸が安定してきたようです。

ずっと付き添っていたのでしょう、グズマは泣き腫らした目でリウにこう言いました。

「リウ、本当にありがとう。俺は勘違いをしていた。お前はすげえやつだ」

側にいるブッソの見る目も、前とは変わっています。

「もし、お前が困ったら言ってくれ。今度は絶対、俺がお前を助ける」

「うん、わかった。父さんのこと、大事にしてね」

「あぁ。今度、森を案内してくれよ」

「いいけど、覚悟してよ?」

リウはそう言って、差し出されたグズマの手を握りました。

(根っからの悪人なんていないのかも知れない)

リウは芽生えた想いを心の中で噛み締めました。

リウは甘夏のたっぷり入った包みを背負って、帰路につきました。

あの後、ナガミ村長は目を覚まして、リウに頭を下げてお礼を言いました。

そして、無理な開拓はもうやめること、自然との共生を目指すことをみんなの前で約束してくれました。

ナガミ村長は普段は粗野ですが、同時に義理堅く、人望の厚い人物でした。

リウの持つ甘夏は、果物屋のチガヤさんが村長を救ってくれたお礼に持たせてくれました。

「リウ、お前の小鳥と話せる特技は村の宝だ。これから先、村と森との橋渡し役になってはくれないか」

ナガミ村長の言葉が胸に残っています。

その言葉は、リウにとって初めての、誰かに認められた証でした。

一歩一歩を踏み締めるリウの胸は、じんわり温まっていました。

八 得心

リウは手をすすぎ、頭を下げて、再び風神の祠の前に立ちました。

そうして、中でも大ぶりな甘夏を供えると

(おかげ様で無事に帰ることができました。風神様、僕を導いてくれてありがとう)

と、感謝を伝えました。

優しい風が吹き抜けていきます。

風に木々は揺れ、霧は晴れました。

(僕は、森と村との橋渡し役になる。僕の居場所はここにあったんだ)

「さあ、帰って母さんに甘夏をむいてあげよう!」

茜色の空に、小鳥の祝福の声が響きましたとさ。

おしまい

スポンサーリンク

3 件のコメント

  • 開発が進む中で残すことの大切さを説いて尽力してきた方が曾てお世話になった先生であった。
    子どもの頃は
    石の陰の沢蟹を探したり、ハヤという小魚をすくったりして遊んだものである。
    水がわきだし、わさび沢もあった。
    現在は「道保川公園」として蛍の保護もされている。
    先生は既に亡くなられたが公園は市の管理のもと憩いの場として散歩コースとして懐かしい所となっている、

  • 先に朗聴いてから、読むつもりでしたが、ライブリマインダーオンして、台本のことを思いだして、読んでしまいました。

    何故かわからないけど、目頭が熱くなりました。
    とても大切な事を、心の奥が感じたのだと思います。
    今は、これしか言えません。

    そして、こんなに長いお話を、一人で黙々と書かれていたんだなと、感じ入り 昨夜のトークライブのライ麦さんの姿(声からの雰囲気)が、よみがえります。
    素敵なお話ですね。
    でも、自分で字を追っていくのと、ライ麦さんが演じて読まれるのでは、全然違うから、今夜のお披露目が楽しみです。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です