無常日記

鮮やかな緑も落ち着き、快い気候になった。表から裏へと部屋を通り抜ける風が爽やかだ。非日常を経て新たな日常が始まった今、久方ぶりに筆を取ることにした。書く余裕もなく奔走した日々、ひとまず走り終えた所感である。

先日、付き添ってきた家族を看取った。目の前で人命を失うのは初めての経験だった。灯火が揺らぎ、次第に小さく消えかかり、最後に華々しく明滅し、余韻を遺して静かに消え入った。

思い返せば不思議だが、間際には側を離れ難かった。終わりの時刻など、誰にも告げられていない。しかし、なんだか今しか無いような感覚に襲われ、聞こえていると信じて話しかけていた。短く簡潔に、しかし、心を込めて。もしかすると、彼はその言葉を待っていたのかも知れない。

看取りを終えたからといって全ての収拾がつくでもなく、慌ただしい日々が続いた。おもてなしの心配り、見舞いに来てくださる方々への対応、式の準備。参列してくださった方々に礼を尽くし、一人一人の目を見てお辞儀をしていたら、腰を痛めてしまった。

本当の意味で故人を偲ぶ時間を許されたのは、命日から一週間が経過した頃だろうか。祭りの後は静かなもので、百合の香りに包まれながら、様々を思い返した。その時々で自分にできることをやり尽くした。後悔は無い。

創作を通してしか社会と繋がれず、得たものも失ったものも仕事関連だった自分が、人間関係を通して温かいものを得たり失ったりした。情けは人の為ならず。良かった事も悪かった事も、生きていく中で全て還ってくるのだろう。

区切りがついたところで自分事に目を向けると、以前とは全く異なる日々の入り口に立っていることに気づいた。山奥での暮らし。身に余る由緒正しき古民家と日本庭園。衛星通信の構築によって仕事ができることは確証が取れている。

少しずつだが、今後は山での暮らしに慣れていこうと思う。二十代で気づくことではないかも知れないが、庭いじりは究極の趣味である。他にも、書き物、新聞読み、小鳥たちの世話、日曜大工、焚き火、畑の水やりなど。集団の中で孤立していた都会暮らしよりも、余程健全な生活である。

恐れ多くて手をつけていないが、古い書物や格式高い遺品も多々あり、創作の参考文献には困らないだろう。浮世離れした性格には似合いの環境だ。先のことはわからないが、今は新しい日常に心躍っている自分がいる。楽しくやっていけるだろうと思う。

暫くは環境移行もあるので、休み休み制作を続ける所存。もう、何度目の引越しだろうか。気づけば、都から随分と遠くまで流されてきてしまった。ここが根無し草の終着のような気がしており、状況に応じて西に帰ることも想像している。今更帰ると、よそ者扱いで、速攻のぶぶ漬け対応をされるかも知れない。

美味しくいただくから良いけれど。

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9 件のコメント

  • 頼麦さんの素直な心境が綴られていて好感が持てます。

    SNSでしか繋がらなかった青年がお世話になった方々と
    深く関わり、しかもその方の人生の終盤という場面で。

    その時頼麦さんの感じた感覚、経験は尊い!!

    頼麦さんの活動に反映サれることでしょう。

    「情けは人の為ならず」ライムギ言う通り
    言ったこと、やっだこと全て自分に返って来ますね。
    良きにつけ悪しきと、思われることも。

    私もも父親の死を目の当たりにして、その後姉妹2人で色々と動しました。
    葬儀では泣きに泣いたけど
    母親は意気消沈しいて葬儀では母に代わり代表挨拶までしました。
    やることが多すぎて・・・

    その時身をもって気が付きました。
    この忙しさは“ひととき悲しみを忘れさせる”溜めにあるのだと。
    日本人の知恵だと。

    49ニチ過ぎたころ落ち着き葬儀社ができる父のコレまでのDVDを見てパラパラと泣きました。

    そうです哀しみはカンタンには癒えません。

    それでも私は人生は面白いと思っています。

    やっぱり生きるって いっぱい泣いて いっぱい笑う
    人生は思い通りにはいかない
    しかし
    思い通りに❛しか❜ならない。
    頼麦さんの心のままに。直感は外れる事は少ないように
    思うから・・・

    新しい生活を始めた頼麦さんの今後を楽しみにしています。
     
     ❴推しは揺るがず❵   1/120000より

  • 本当に人を失った悲しみを心に一人で抱えるとこのような前向きな文章は書けないです。
    どうぞこれからは何にしばられることなくお元気で。

  • 「言葉を一生懸命かけてあげてください 
    いつまでも耳に残るのですよ」
    看護師さんの言葉を受け
    私と次女は主人に声をかけ続けそして…
    コロナ禍の病院の一室で
    家族 みな側にいてあげたいと
    思うも叶わず

    皐月晴れの中一周忌も終え
    頼麦さんの心情がまだまだ
    痛いほどわかるのです

    数年であろうが
    十数年であろうが
    残った家族と
    バトンを繫ぎ
    精一杯頑張って生きる
    それが私に課せられた
    義務であろうか

    時が癒やしてくれる…
    いまは介護に疲れた
    私を救ってくれた
    頼麦さんを応援し
    いつかあるであろう
    ライブを心から楽しみに
    日常をこなしている
    自分がいます

    深い悲しみを
    味わうことで
    人への対処が
    熟成され
    より人を引き付ける
    頼麦さんが誕生しますよ

    これからも
    応援し見守りたいと思います
    いつか会える日を楽しみに☺️

  • 「言葉を一生懸命かけてあげてください 
    いつまでも耳に残るのですよ」
    看護師さんの言葉を受け
    私と次女は主人に声をかけ続けそして…
    コロナ禍の病院の一室で
    家族 みな側にいてあげたいと
    思うも叶わず

    皐月晴れの中一周忌も終え
    頼麦さんの心情がまだまだ
    痛いほどわかるのです

    数年であろうが
    十数年であろうが
    残った家族と
    バトンを繫ぎ
    精一杯頑張って生きる
    それが私に課せられた
    義務であろうか

    時が癒やしてくれる…
    いまは介護に疲れた
    私を救ってくれた
    頼麦さんを応援し
    いつかあるであろう
    ライブを心から楽しみに
    日常をこなしている
    自分がいます

    深い悲しみを
    味わうことで
    人への対処が
    熟成され
    より人を引き付ける
    頼麦さんが誕生しますよ

    これからも
    応援し見守りたいと思います
    いつか会える日を楽しみに☺️

  • 「言葉を一生懸命かけてあげてください 
    いつまでも耳に残るのですよ」
    看護師さんの言葉を受け
    私と次女は主人に声をかけ続けそして…
    コロナ禍の病院の一室で
    家族 みな側にいてあげたいと
    思うも叶わず

    皐月晴れの中一周忌も終え
    頼麦さんの心情がまだまだ
    痛いほどわかるのです

    数年であろうが
    十数年であろうが
    残った家族と
    バトンを繫ぎ
    精一杯頑張って生きる
    それが私に課せられた
    義務であろうか

    時が癒やしてくれる…
    いまは介護に疲れた
    私を救ってくれた
    頼麦さんを応援し
    いつかあるであろう
    ライブを心から楽しみに
    日常をこなしている
    自分がいます

    深い悲しみを
    味わうことで
    人への対処が
    熟成され
    より人を引き付ける
    頼麦さんが誕生しますよ

    これからも
    応援し見守りたいと思います
    いつか会える日を楽しみに☺️

  • 人が亡くなるとき、傍にいる人たちの本当の心が、あらわれるような気がします。
    きっと、らい麦さんは、真摯に向き合って生きて来られたんだなぁと、思います。
    徒然なる報告を、楽しみにしてます。

  • この世に生を受けた日から幕引きに向かっているのですよね。
    先日、生まれた孫も見えない終点へと人生を歩むのだと感じています。

    頼麦さんの「後悔は無い。」
    そこに尽きると思います。
    出来る限りの事をして来たのだから
    次へ行けますもんね。
    悩んで悩んで下した判断は間違ってなかったです。

    これからも二転三転は、承知の上で日々暮らして行きましょう
    そして、
    頼麦さんにしか咲かせられない
    美しい花を咲かせ下さいね。

  • 私も親族を3人看取っています
    静かな嵐のような感情が前後長い間続くような感覚でした
    いつまでたっても忘れる事はなくこれから沢山の別れがあるのかと思うとずっしりと心の奥にくる何かがありますが…だからこそ毎日を大切に笑顔で過ごしていきたいなと思っています

    どうか新しい生活が心休まるものでありますように

  • 大切な人を天に送った日
    雲一つない晴天の早朝

    あぁ、なんて綺麗な朝
    でも悲しみを負っているのは私だけなのとの思いにもとらわれた日

    今年は十七回忌になるらしい
    でも身体という魂の器は天にお返ししたけど
    いつも傍に寄り添っていて守られていることを感じでる

    思いは想いに
    偲ぶきもちが重なっていき
    美しい追憶へと変わってきています

    まぁ ただ 愚痴れは
    もう少し 共に歩んではほしかったなぁ

    あぁ、やっとコメントできる
    (やはりちとフィードバックしました)

    気持ちを綴った日記をみせてくださってありがとう
    piano piano
    ゆっくり ゆったり
    らしくを大切にお過ごしくださいね

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