豊かな時間の選択

 

おじゃまします。らいむぎ(@rye_enjoy)と申します。

 

時々、世界が美しく見える日があります。

 

世界はいつでも美しいはずなのですが、惜しいことにその事実はしばしば忘れられてしまいます。

 

今日はたまたま、穏やかで美しい世界を感じることができました。

 

いや、ここ数日かな。

 

こんなに心が澄んでいることはあまり無いので、少し考えたことを書き記すことにしました。

 

いつもの如く、色んなことを棚に上げてつらつらと書いていきます。

 

この文章にはなんの結論も落とし所もありません。

 

軽い読み物程度に読んでいただけると幸いです。

 

もくじ

切り取り

 

今日も世界では様々な出来事が起きています。

 

例えば、僕が今日、世界を美しいと感じたのは、世界全体から僕の感性の届く範囲を切り取ったときに、今日の切り取りがたまたま美しいものだった、ということです。

 

たまたま、と書きましたが、この美しく幸せな切り取りにはいくつかの条件があるような気がするのです。

 

今、思いつくままに挙げるならば、

 

・心に余裕と感謝があること

・人との巡り合わせの実感

 

この辺りは大切なもののような気がします。

 

先に申し上げておけば、2つとも根底では繋がっているものです。

 

それぞれについて並べて書いていきます。

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心に余裕と感謝があること

 

まず、心には余裕が必要なようです。

 

忙しくてはなかなか感じることができないですね。

 

仕事然り、勉学然り、その他のシガラミ然り。

 

これらの問題に忙しくて心の余裕を失っていたりしますと、その渦中は世界の美しさや幸せからは遠ざかっているようです。

 

また、心の余裕のあるところに生じてくるものでもあるのですが、感謝の気持ちも大切です。

 

これは条件というより、常に幸せとともにあるという感覚が強いですね。

 

何も特別な感情ではなく、自分の関わる人々への感謝の念。

 

生きていることそのことへの感謝の念。

 

理屈ではなく、それら感謝の念を感じられているその時は、心も澄んでいる。

 

だからこそ、世界も澄んで見えるのだと思います。

 

人との巡り合わせの実感

 

人間は、やはり人間です。

 

たまたま、この一瞬に生まれ落ちて、すごく近しい存在と関わり合って生きて、死んでいく。

 

何かを遺して、死んでいく。

 

現代は特に、人との関わり方が現在進行形で大きく変化していく時代です。

 

いつの間にか、近しい存在が、生身の肉体を以って接することができる範囲の存在と同義だった時代とは、もはや大きくかけ離れてしまいました。

 

例えば僕は配信者です。

 

狭い部屋に閉じこもりながら不特定多数の方々に向けて声を発信し、返してくれた特定多数の方々と交流を持って生きています。

 

僕は意識的にこの関係性を選択しました。

 

あるタイミングで、”普通”に生きることができないと悟ったからです。

 

それでも、人と関わることは避けられず、全ての感情はその関わりの中で生じます。

 

映画一つとっても、それは人同士の関わりの存在無くしては僕には届かなかった。

 

この関わり合い、巡り合わせ、流れを意識すること。

 

すると、不思議とそこに美しい世界や幸せが立ち現れてくれます。

 

変な力が抜けて、自然体になれるからかも知れませんね。

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豊かな時間の選択

 

・心に余裕と感謝があること

・人との巡り合わせの実感

 

これらは根底では繋がっている問題です。

 

では、どうすればこれら2つを得ることができるのか。

 

これはプラスαというか、僕の見つけ出してきたコツのようなものです。

 

豊かな時間を、意識的に過ごすということ。

 

僕の場合は、本(最近は特に詩がいいですね)を読む、映画を観る、大切な人と過ごす、美味しいものを食べる、湯につかる、世界を観察する。

 

こういった時間が心を満たしてくれるものは、僕を幸せに近づけてくれます。

 

ヒントはいつだって目の前にあります。

 

でも、意識しなければ目に入ってこない。

 

意識して向き合う時間を取らなければ取り込むことができない。

 

不思議なんですけどね。

 

日々は選択の連続で出来上がっていきます。

 

つまり、選択の連続が僕たちの人生を構成していきます。

 

豊かな時間を一日に取り入れるということは、人生を構成するピースを一枚、豊かなものにするということ。

 

大切なことだと思います。

 

今日一日を振り返ってみてください。

 

それがあなたの人生です。

 

満足できましたか?

 

それとも、ゾッとしましたか?

 

まとめにかえて

 

ここ数日、自分の活動を通じて知り合った方々と接する機会が多くありました。

 

僕にとって、それらは必然であり、幸せなものでありました。

 

しばらくはその幸せに浸って生活することができそうです。

 

この文章と、読んでくださっているあなたとの出逢いも、選択の連続の中で起きた必然です。

 

この出逢いが、それぞれにとって善い出逢いになりますように。

 

そう願ってやまない、活動の日々です。

 

ではでは!

 

最後まで読んでくださった方々、ありがとうございました。

 

らいむぎ
わくわく、楽しんで生きましょう!

 

善き出逢いを。

 

嵯峨ノ頼麦

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5 件のコメント

  • この時とても心に余裕があったのですね。

    世界が美しく見える瞬間、心は間違いなく澄んでいることでしょうね。

    そして「普通」とはなんなのでしょうね。

    らいむぎさんとはまた少し違うかもしれませんけれど自分はどこか普通と違うって思って生きていました。

    この現世に生きるには向いてないような息苦しさを感じながら。

    今も日々そんなことに向き合いながら生きています。

    自由に楽しく生きられたら良いなって心は思います。

    ねむりやさんに辿り着くまでに様々な眠る為のアイテムを探す中である心理カウンセラーさんのチャンネルに出会ったのですが、

    その方がフレデリック・パールズの【ゲシュタルトの祈り】を読むのを聴いて心に残っています。

    「私は私。あなたはあなた」

    そういう心で生きることができたら良いなぁと。

    本当に人生は選択の連続ですね。

    今日は晴れ。

    太陽神アマテラスを祀った神宮へお参りして感謝の祈りとパワーをいただいてこようかな。

    追伸

    地図を読めたら方向音痴ではないですよ。
    私は完全なる方向音痴で地図読めません…。

  • 人との関わり、出逢い、ご縁。
    不思議ですね。
    やはり全ては必然なのでしょうか。

    「自分は何の為に生まれてきたのだろう」
    そんなふうに考えながら生きていた時にある一人の(年齢は80歳前後)女性とご縁がありました。

    鑑定師というご職業で私はその相談者という出逢い。
    やり取りを重ねるうちに私もだんだんと心を開けるようになってきました。

    彼女は「血は繋がっていなくても私はあなたを本当の家族のように思っているよ」と言ってくださる。

    顔も声も知らないメールだけのやり取りの関係。 
    「魂」の繋がりというものがあるのだと思います。

    ここ数年の私の疲れを知ってなのか、ついさっきその女性からメールが届きました。

    「生まれてきてくれてありがとう」
    「生きようとしてくれてありがとう」
    「いま存在してくれてありがとう」…と。

    ぼろぼろ泣きました。
    生みの両親にさえそんな言葉をかけてもらったことはありません。

    その女性は独身で身内がいらっしゃらず、
    一人で暮らしている方。
    お互いに住んでいる場所すら知りませんが互いに心配しあう仲なのです。

    生きているうちにお会いする機会があるかどうかは分かりませんが大切に想ってくださる事に感謝しています。

    …ごめんなさい…自分の日記のようになってしまいました。
    家族には話せないのでここに書いてしまいました。

    後になりましたが、
    日記ラジオやっぱり良いですね。

    詩への想いを聴いていて胸がいっぱいになりました。

    らいむぎさんの発する言葉から誠実さがとてもよく伝わってきました。
    きっと他の皆さんにも伝わっていると思いますよ。

    読んでくださりありがとうございました。

    おやすみなさい。

  • 昨日からの一日を振り返ってみて。
    それが私の人生…ぞっとしました。

    確かに世界はいつでも美しいはずなのに、
    それを感じる心が無ければ気付けないですね。

    分かってはいても人間は感情の動物。
    何事にも無関心であれば良いですが。

    例えば私はSNSが苦手です。
    美しいものもありますが見たくないものも多くあります。
    過去に人から傷つけられた経験もあります。
    確かにらいむぎさんがおっしゃるように人との関わりは避けられませんね、生きているかぎり。

    らいむぎさんのお友達の東さんの文章をたまたま目にしたのですが、
    「君の中の孤独はずっと君と一緒にいてくれた」
    「孤独は君の友達だ」と。

    孤独や寂しさを感じる事は決して罪ではないのかもしれないけれど、
    生き生きと生活する人を見ると思わず隠したくなる感情でした。
    人からよく言われました。
    「そんなに大変なのにいつもニコニコしてるね」と。

    悲しみを周りに見せないよう広げないように生きてきたから無意識に笑っていたのかもしれません。

    「人生は生きるに値する」
    確かにそうかもしれません。
    けれど「生きている」と心から実感するのは簡単ではないのかもしれません。

    何も反発心で言っているのではなく。
    自分もつぶやいてみた。

    ただそれだけです。
    おじゃましました。

    心が疲弊したら少し休ませてあげるべきでしょうね。
    またいつか豊かな時間を過ごすことができるように。

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