こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
気づかぬほどの過ちが
知らず知らずに重なって
取り返せぬほどになり
台無しになる時がある
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
場合によっては自らが
泣き面に刺す蜂となり
不幸に不幸を塗り重ね
台無しにすることがある
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こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
気づかぬほどの過ちが
知らず知らずに重なって
取り返せぬほどになり
台無しになる時がある
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
こんなはずではなかったのに
場合によっては自らが
泣き面に刺す蜂となり
不幸に不幸を塗り重ね
台無しにすることがある
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こんなはず
…
うまくいくはず
…
この二つの言葉は、なんか似てるなぁと思いました。
表裏一体ですが、良いときもあれば、その分悪いときもあって
こんな時こそ、手元に残ってる幸せを、もう一度見てその幸せに感謝したいものです。
こんなふうに思ったこと何度もある気がします。
難しい言葉がすらすらと出る頼麦さんも知的で良いですけれど。
自分のことを「ぽんこつ」と言える頼麦さんの方が人間らしくてかわいい人だなと私には思えました。
初めてこの詩を読んだ時あまりに痛々しくてすぐにページを閉じました。
昨年末に元気な頼麦さんの配信を聴いて、読み返してみました。
後悔や、自責の念が全編に溢れていて刺されるような胸に迫る文章です。
どんなことを思ったのか?
何を悔やまれているのか?
私にはわかるはずもありません。
ただ、生きていると本当にあらゆる事に遭遇して
胸が張り裂けそうな事もある。
きっとたくさんの事が積もりに積もって吐き出されたのかも知れません。
苦しい瞬間でしたね。
でも
ひとつ考えられるのは、例えば私の半生を振り返るとき
“喜び”で心を覗くと嬉しかった事があれこれと浮かび上がって来る。
“哀しみ”で辿ると、やはり忘れていた事柄がモヤモヤと
心に浮かび上がって来る。
怒りも楽しさも同じように思い出されます。
そう考えると、この時の頼麦さんは何かのきっかけで
頼麦さんが以前使われた言葉を借りると「ある一つの軸」で
振り返ったときに、こんな感情が噴き出して来たのではないかなと思います。
そんな瞬間ありますよね。
そして、この詩の特にこの部分
「場合によつては自らが 泣き面に刺す蜂となり 不幸に不幸を塗り重ね 台無しにすることがある」
この表現力の豊かさ、文章力の高さ、感覚の深さ
だからこそ伝わるのですよね。
素晴らしい才能だと素人ながら思いました。
今回は余裕をもつてこの詩と向き合えました。
今は何処かの旅の空の下。
リラックスされてることを願って・・・お し まい。