雨の匂い

雨が降ったので散歩に出た。雨はいい。人が少なく、要らぬ視線を気にする必要もない。屋外で十分に距離を取れる環境下では感染症対策のマスク着用を免除するとのお達しを小耳に挟んだため、今日はマスクを半分外して歩くことにした。そうすると、こんなにも世界は匂やかだったかと驚く。雨の匂い、湿った土の匂い、雨に打たれて落ちた、数多の小ぶりな青い果実の酸っぱい匂い。様々が途端に香る。布一枚が人間から世界の質感を奪っていた事に、はたと気づかされた。布の均質な臭いは人々から局地的な共通体験を奪ってしまっているのだろう。本当に生きづらい世の中だ。

しばらく歩いていると路上を這うミミズが見えた。昨年はミミズが雨後に地上に這い出す理由を考えても、決定的なものが思い浮かばなかった。しかし今日、突然合点がいった。ミミズとて、周辺の土の栄養を取り尽くした後はやはり移動しなければならない。ちょうど遊牧民が家畜の食事のために住処を移すように。もしも自分がミミズであったならば、自分の体の水分を奪う直射日光を避け、雨の日に外に出るだろう。適度に湿った地面はミミズには移動しやすい環境のはずだ。ミミズに確認を取ってはいないため、真偽は定かではない。

もうしばらく行くと、柵柱の頭頂部にとまったカラスと目があった。何やら聞き慣れない、途切れ途切れのおかしな声を発している。周囲に仲間のカラスも見当たらない。僕は一言 Good evening. と声をかけてみた。ガラスは怪訝そうな顔をして、隣の柱、またその隣の柱へと跳び移り去った。我々が彼らの鳴き声を音として認識しているように、彼らも僕らの声を意味を含まない環境音として聴いているのだろうか。もしも彼の放っていた鳴き声が挨拶の意味を含んでいたのなら、僕は嬉しい。

雨でこんなに人が少ないというのに、いつも座るベンチには何故か人が居た。「他に選択肢はいくらでもあるのに、何故ここなのだろう」と少し残念に思いながら、これも一つの機会だと捉え直し、別のベンチへ移動した。ところが移動した先のベンチが思っていたりも好ましく、自然に囲まれた静かな環境を思ったよりも気に入ってしまった。頭を垂れた葉先から滴る雫が地面を打っては、地中に染み込んでいく。この染み込んだ水を合図に、ミミズは地上に這い出るのだろう。

ぼーっとしていると、午前中に初めて体験した家庭用 VR について思い起こされてきた。白くごつい装着物を手にして頭に装着し、どうにか焦点を合わせて仮想現実空間を歩いてみた。何やら様々な衣装を陳列する島を訪れ、擬似的に再現された波の音を聞く。しかし、香ってくるのは開封されたばかりの新しい機材の、均質で機械的な臭いだ。感覚の不一致に違和感を覚えながらも嬉々として歩き回っていたら、画面酔いを起こして倒れてしまった。現実と仮想現実の差異に脳が混乱を起こしたのだろう。楽しく遊ぶため、早く慣れたいものだ。

一つ、恐ろしいことを想像した。この数年中に誕生し、生まれながらにして仮想現実に浸った赤子は、どのような共通体験を持って生育するのだろうか。僕のような少し古い人間は自然の中を駆け回り、現実世界で遊び回っては悪戯に暮らしていた。雨の匂い、石塀のカタツムリ、氾濫する小さな川。語れば懐かしいと言い合える共通体験は現実世界の匂いに包まれている。しかし、仮想現実で育った赤子には、同様の体験が少ないかもしれない。大きくなって語り合う共通の思い出は、初めて仮想現実空間に参加した時の画面酔いや、言葉の分からない外国人に絡まれた記憶になるのかも知れない。そこに良し悪しは無く、ただ世代間の違いがあるだけだが、こうした世代間の差異、多様性への適応を迫られる日は必ず来る。その事を心しておかなければならないと思う。

散歩の前に読んでいた、セネカと和辻哲郎の文章を思い出す。彼らは、長くも短くも感じられる人生の時間の過ごし方について論述していた。セネカは「人生は短くない。人々が人生を浪費しているだけだ」と言い、和辻哲郎は「死と隣り合わせに在ることを忘れてはならない」と言う。僕もそう思う。最近は今日で終幕になったらどうしようか、毎日のように考える。僕は自分の人生を歩き始めて、まだ日が浅い。まだまだ成し遂げていないことがたくさんある。しかし、気づくに早いも遅いも無いのだから、今を懸命に生きるしかない。大切に積み重ね始めた今が、いずれ輝く過去となり、掛け替えのない宝物になるだろう。そして、終わりを迎える段になれば、毅然とした態度で彼岸へ渡ってやろうと思う。

この文章を執筆をしていたら、側の枝先から芋虫が垂れ下がってきた。同じ高さでずっと宙吊りになり、風に揺れている。試しに声をかけてみた。「そんなところで何をしているんだい」しばらく反応は無かったが、数秒後、何本もの腕をうねらせ、少しずつ糸をよじ登り始めた。仰け反って糸を手繰り寄せ、少しずつ手元に丸めていく。器用なものだ。かなり糸は長いから、上まで到達するには時間がかかるだろう。僕が家に帰り着くのと、どちらが早いか競争だ。

僕はベンチを立ち上がり、埃のついていない尻を左手で払った。傘を手に持ち、小雨の香りを胸いっぱいに吸い込む。歩き出すと、燕が楽しそうに並んで飛んでくれた。僕は、新曲と自然音を脳内で混ぜながら、雨の日の出逢いに微笑みながら、のんびりと歩いていった。

スポンサーリンク

2 件のコメント

  • 素敵な日ですね。
    世界は色だけでなく、匂いも大丈夫。
    やはり五感で存分に感じたり、時に第六感で感じる不確かな感覚が大切ですね。
    ちょっと頑張りすぎたかな?また、がむしゃらに猪突猛進してしまったなぁ。また、暴走したなぁ。と感じている今日このごろ。
    休みたいのに休むのが怖い。置いていかれるようで、役立たずと言われそうで、結局そんなもんか。と呆れられそうで・・・。あぁ、なんて弱くて情けない。自分の無い自分。もっとちゃんと自己を持ち、芯を立てなければと思うほど苦しくなる。
    雨の日は、くせ毛がひどく暴れるので苦手です。でも、雨音の世界は静かで、草木は艶々生き生きしていて、嫌いではないです。たまには、雨に濡れるのも気持ちの良いものです。
    今の私には、一人で過ごす時間が欲しい。何も考えず、他者を気にせず、視線や気に圧迫されずに過ごす時間が欲しい。
    それなのに上記に示した通り、不安と恐怖でなにもできず負のループ。悪循環の中で、窒息しそう。
    何とかできるのは、自分しだい。どうするかも自分で選べる。選んだなら、進めばいい。わかっているのに抜け出せない。
    明日は1時間でもいいから、空を眺める時間を確保しよう。

  • 短い短編小説のようだ

    これを読むと雨の日の散歩も良いかもと思う

    らいむぎさんは自然と仲良くなる才能あるね

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    CAPTCHA