月夜の手紙
夜咄 頼麦 作
この文章の著作権は夜咄頼麦に帰属しますが、朗読についての著作使用権は解放しております。YouTubeでの朗読、声劇、そのほか音声表現活動などで自由にお使いください。
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稲荷
ある島国の大きな入り江に沿って栄えた街に、一人の青年が住んでおりました。
ここでは、名前をTと呼びましょう。
Tはある冬の晩、郊外を宛もなく歩いておりました。
「うぅ、寒い」
なんだか全てが報われない気がするのでした。
月の光は街をうす青く染め上げ、もの悲しくさせています。
街灯を過ぎるたび、ぐるっと伸びる影はTをからかうかのようでした。
「なにが、いけないんだろう」
彼は目利きの貿易商の補佐として働いていました。
この街では有名な商人の尻拭いで部屋にこもる日々。
彼の夢のためには、目を養う時間は必要なはずでした。
「なんだよ、なんでもかんでも押し付けて。はぁ。このままでいいのかな」
Tは小さく漏らしました。
整った石畳はいつしか、砂利道に変わっていました。
ぼんやり歩くうちに、街のはずれまで来てしまったようです。
「どうせ帰ったって眠れないし、もう少しぶらぶらして帰ろう」
ふと目を上げると、右手は枯れ草の生い茂った荒れ地でした。
もう、ここに在った建物がなんであったかは思い出せません。
かつては庭でもあったのか、立木もちらほら見えました。
道沿いの梅の枝は不気味に広がり、覆いかぶさってくるかのようでした。
枝越しの夜空をぼんやり見上げます。
夜に染まったつぼみは、満月に白む空にくっきりと映えていました。
Tは深く息を吸い込み、大きく吐き出しました。
目を下ろすと、荒れ地の奥に向かって獣道が伸びています。
獣道の続く先には、小さく盛り上がった森と白い鳥居が見えました。
「なんだろう。こんなところに神社なんてあったかな」
Tは不思議と心惹かれ、獣道に足を踏み入れました。
道沿いに立った草木は枝垂れ、暗いトンネルのようになっていました。
頼りになるのは、枝葉の隙間から差す細い月明かりだけです。
足元ではパキパキと、何かがつぶれる音がします。
その音が動物か何かの骨ではないかとの考えが頭に浮かび、Tはかき消すように首を振りました。
足早にトンネルを抜けます。
視界が開けると、目の前には想像よりも立派な鳥居が立っていました。
先ほどの音の正体はどんぐりだったようです。
本堂に続く上り階段にも、点々と散らかっている様子が見えました。
何やら、奥の方に灯りが揺れているようです。
暗闇に不安だったTは、温かい灯りに呼ばれるように足を踏み出しました。
「稲荷神社」と縦に書かれた鳥居をくぐります。
Tに驚いたカラスたちが警戒の声を鳴き交わしました。
「なんだ、カラスか。びっくりした」
Tは驚いて、不満をこぼしました。
階段を登り切った境内は小ぢんまりとし、不思議と落ち着きます。
足元は落ち葉と腐葉土で埋まっていました。
手水舎は枯れ、標縄はほつれ、中には垂れ下がっているものもあります。
長く人の手は入っていないようです。
静かに降り積もった時間が、哀愁をまとわせておりました。
Tはここまで来てしまったことを後悔し始めました。
しかし戻るには、またあのトンネルを抜けねばなりません。
「少し明るくなるまで、居させてもらおうかな」
Tは本堂に歩み寄りました。
問答
本堂はなかなか立派な造りで、梁には木彫りの龍があしらわれていました。
灯りは片側だけ開いた、扉の隙間から漏れています。
漂う赦しの空気に、Tは中に入ってみる気になりました。
古い字体で”奉納”と書かれた賽銭箱の横を通り、段を登ります。
扉を静かに開くと、そこは六畳ほどの小部屋でした。
「ごめんください」
奥にはもう一枚の扉が見え、その手前には小さな机に乗った燭台があります。
Tは明るさに安心を覚えました。
机には、柔らかな灯りに照らされて一枚の紙が置いてありました。
Tはその紙に目を落としました。
【最近知った花の名前はなんですか?】
「花の名前。なんだ、この質問。花の名前なんて知ってどうするんだ。腹もふくれない」
Tは呆れて言いました。
「奥に人でもいるのか」
Tは、奥の扉を開きました。
この時、背後の入り口がそっと閉じたことに、Tは気づきませんでした。
扉の向こうは、また同じような小部屋でした。
部屋の奥にはまた扉があり、照らされた机に紙が置いてあります。
「まただ。今度はなんだ」
Tは紙を手に取りました。
【最近訪れた国はどこですか?】
「国?生まれてこの方、この街から出たことなんてないし出たいとも思わない。今の仕事をしていれば、他の国の話は嫌でも聞く。それで十分さ」
Tは反発しました。
「名前だとか国だとか。よほど自分の知識を自慢したいんだな。見つけて、ひとこと言ってやる」
Tはこれで最後との思いで、次の扉を開きました。
しかし、その先にはまた似た光景が待っていました。
「またか。いい加減に」
例によって机まで歩み寄ったのち、初めて背後を気にしたTは目を疑いました。
今通ったはずの扉がありません。
そこにはのっぺりと、塗り壁が立っているだけでした。
「嘘だろ。これじゃ帰れないじゃないか。おい!開けろよ!」
壁を叩いてみても、手に鈍い痛みが残るだけでした。
どうやら、先に進むより他は無さそうです。
「そういうことか、わかった。神様の仕業か知らないけど、見つけた時はみてろよ」
紙にはこうありました。
【一番好きな音の川はどこですか?】
「そんなものは知らない!川の音なんて気にしたこともない。積荷を運んでくれればそれで十分だ」
声を出していないと、沈黙の音が耳にさわります。
心細い状況での掴みどころのない問いに、Tの不満は膨れました。
「なんだ!人を小馬鹿にしたような質問ばかり。そんなもの、今は知る必要なんてない!どうしたら生活は楽になるのか、この先に夢は叶うのか。その答えが知りたいんだ!あんたが神様なら教えてくれよ。どうすれば報われるんだ!」
Tは紙を破りました。
そして、荒々しく次の扉を開けました。
神木
扉の先は小部屋ではありませんでした。
どうやら外に出られたようです。
にわかに明るくなった視界に、Tは思わず目を覆いました。
段々と明るさに目が馴染み、現れた景色にTは圧倒されました。
流れる雲を突き破らんとそびえる、古代樹。
樹齢数千年はくだらないであろうご神木の外皮は堅く、老人の皮膚のように皺が寄っていました。
忘れ去られた神社の裏手で、人知れず時を刻んだのでしょう。
上方に放射状に広げた枝は、一本一本が幹のような太さです。
求める者全てに、赦しの手を差し伸べているかのようでした。
顔ほどもある幾つもの大きな節は、遥か遠く、海も越えて、Tの見知らぬ異国の地まで見通しているように思えました。
Tの目は釘付けになり、開いた口は塞がりません。
「なんだ、これ」
息が止まります。
「僕はあまりに若い。儚い。そして、」
Tは小さく漏らします。
「なんてちっぽけなんだ」
Tの胸中を、ただ畏敬の念だけが満たしました。
今宵、ふらりと外に出る気になったのは、ここに辿り着くためだったのか。
Tは首を垂れました。
と、目の端で白いものが動きました。
目をやると、ご神木の陰に消える尻尾が見え、古代樹の根元には一枚の紙が残されていました。
紙は二つに折られています。
Tは歩み寄り、うやうやしく紙を開きました。
【最近あなたの感じた幸せはなんですか?】
Tの頬を温かい涙が伝いました。
そんなこと、考える暇もなかった。
生きるだけで精一杯だった。
忙しく過ごすことが夢への近道だと思っていた。
でも、でも、今の自分に、
「足りないものは」
にじむ視界の中、Tの意識は遠のきました。
手紙
目を開けると、Tは荒れ地の草むらに倒れていました。
押し倒された枯れ草が束になって支えてくれています。
Tは夢うつつのまま立ち上がり、湿ったお尻を払いました。
道に出て振り返ると、奥に続いていた獣道は見当たりません。
ただ、草木が生い茂るだけの荒れ地です。
しかし今や、胸の内は穏やかな生命力に満たされていました。
Tは荒れ地に一礼し、暗い家路をたどりました。
月の光は街を薄く染め上げ、 穏やかにさせています。
街灯を過ぎるたび、ぐるっと伸びる影はTを励ますかのようでした。
狭い下宿に着いた彼は荷物をまとめ、部屋を整えました。
そして、月明かりに手紙を書き置いて、街を出たのでした。
おしまい
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非現実的な出来事ですが、主人公と同じ様に私にも起こっていたなら、どんなに救われるだろうと心からしみじみ考えてしまいました。私の抱えているものと、Nの心情は違うものですが、何かしら悩みを抱えている人に、光を与えてくれるお話しだと思います。
「注文の多い 料理店」のように怖いもの見たさに 読み進みました。
初めはNさんとらいむぎさんが重なりました。
気がつくと Nさんは読んでいる私?
と思い始めました。
改めて 二回目を読みました。
人生の終盤にきて 「 振り返って 改めることがあるなら やり残したことに 目を向けよう」と思いました。
らいむぎさんには気付かされることが多く 感謝しています。
ありがとうございます。
私も注文の多い料理店?みたいな展開に、ワクワク読み進めました。女子の夜の冒険は危なっかしく、感じていたので、Tに変わって安心しました。こんな不思議な夢のある話大好きです。でもちゃんと大地に足はついてる、ただの夢物語では終わらない。とても感動しました。
本日生朗読でお披露目「月夜の手紙」素敵でした。
タイトルはずっと心に残っていたので、頼麦さんの声で聴けた事を幸せに感じます。
制作から2年目の公開とのお話。
ひとり旅を終えた頼麦さんの新しいスタートにふさわしい
お話でした。
噛むことも無くスラスラと読み進めていく
その上頼麦さんの心はちゃんと込められている。
やはり頼麦さんの朗読は最高です!!
人生は楽しいですね。
色んな事が起こるけれど、成るようになります。
頼麦さんはいつも求めて追求し続けている。
何をしても風が吹いてきて妨害され、どうしても上手くいかない時もあるけれど、頼麦さんが大切にしている習慣づけが
本当に大事になって来ます。
毎日の小さな繰り返しが魂を病気にしたり、健康にしたりする。
頼麦さんはできるだけ人を喜ばせようとされてる。
そうすると、自分の魂が治療されるだけでなく
周囲の人々の心も状況も確実に好転していくと感じています。
“怠らず、張り詰めず”良い言葉ですね。
日々の仕事の中で、大きな変化と思うものでも
振り返ればある地点での小さな起伏に過ぎない事も多い。
変わるのではなく変化し続ける。
歩き続けることが大切だとある人が話されています。
その秘訣が”怠らず張り詰めず“という気構えだそうです。
バランスですかね。
けれど、夜咄頼麦という帆だけは降ろさないでね。
帆を高く張ってさえ居れば
どんな風でもそこに留まらず船は進むから。
生配信ありがとうございました!!