むかしむかし、ある村に太郎という心やさしい男がおりました。太郎は何をやっても上手くいきませんで、畑を耕せば雨が降らず、商いをすれば客が来ず、仕事を探してもなかなか見つからない、そんな毎日を送っておりました。
けれども太郎は決して人を恨んだり、ひがんだりはいたしませんでした。困っている人がいれば、貧しいのに自分のわずかな食べ物を分け、道で転んだ子どもがいれば優しく起こしてあげる、そんな人でございました。
ある日のこと、太郎はとうとう食べる物もなくなってしまいました。そこで村はずれにある観音堂へお参りに行き、手を合わせて一心にお祈りいたしました。
「観音さま、どうか私に運を授けてください。人さまのお役に立てるような人間にしてください」
すると不思議なことに、観音さまの像がほのかに光り、やさしい声が聞こえてまいりました。
「太郎や、おまえの心の美しさはよく知っております。今からお堂を出て、初めて手にした物を大切にして西へ向かいなさい。きっと良いことがありましょう」
太郎は驚きながらも、深くお辞儀をしてお堂を出ました。ところが石につまずいて、あっと思う間もなく転んでしまいました。そして、手をついた時、偶然一本の藁を握っておりました。
「これが観音さまのおっしゃった物かもしれない」
太郎はその藁を大切に持って、西へ向かって歩き始めました。
しばらく歩いていますと、一匹のアブが飛んできて、太郎の周りをぶんぶん飛び回りました。太郎は藁の先でアブをそっと捕まえ、傷つけないように藁の端にしばりつけました。
「一緒に旅をしようか」
太郎はアブに話しかけながら、また歩き続けました。
やがて街道で、若い母親が赤ん坊を抱いて困り果てているのに出会いました。赤ん坊は激しく泣きじゃくって、どうしても泣き止みません。
「どうなされました」と太郎が尋ねますと、母親は涙ながらに答えました。
「この子がどうしても泣き止まないのです。何か面白い物でもあれば」
太郎は藁につながれたアブを見せました。アブは藁の先でくるくると飛び回り、とても愛らしく見えました。赤ん坊はアブを見ると、ぱったりと泣き止んで、手を伸ばして笑い始めました。
「まあ、なんて可愛らしいのでしょう。どうぞこの子にいただけませんでしょうか」
太郎は快く藁とアブを赤ん坊に差し上げました。母親は大変喜んで、持っていた美しい蜜柑を三つ、太郎にくださいました。
「心ばかりの物ですが、どうぞお納めください」
太郎はお礼を言って蜜柑を受け取り、また西へ向かって歩き続けました。
日が高くなり、のどが渇いてまいりましたので、太郎は大きな木の下で休むことにいたしました。蜜柑を食べようと思って取り出しますと、向こうから美しく着飾った若いお嬢様が、苦しそうによろめきながらやってまいりました。太郎は心配をして声をかけました。
「どうなされましたか」
お嬢様は弱々しく答えました。
「のどが渇いて仕方がないのです。何か喉を潤せるものをお持ちではありませんか」
太郎はすぐに蜜柑を差し出しました。
「これしかございませんが、よろしければ」
お嬢様は蜜柑を受け取ると、むしゃぶりつくようにして果汁を飲み、すっかり元気になりました。
「ああ、生き返りました。本当にありがとうございます」
お嬢様は太郎の親切に深く感動し、供の者に持たせていた上等な絹の反物を太郎に渡しました。
「これはほんの気持ちです。どうぞお受け取りください」
太郎は恐縮しましたが、お嬢様の気持ちを無下にするわけにもいかず、ありがたくいただきました。
美しい絹の反物を抱えて上機嫌に歩いていますと、道端で困り果てている人に出会いました。荷車を引いていた馬が急に倒れて、息も絶え絶えになっているのです。
「ああ、この馬はもうだめだ。そこの人、この馬をやるから、その美しい反物と交換しておくれ」
馬の飼い主は太郎の持つ絹の反物を見て言いました。太郎は倒れた馬を見て、可哀そうに思いました。
「私でよろしければ、引き取りましょう」
「おお、ありがたい」
馬の飼い主はしめしめと笑い、荷車から馬を外しました。太郎は反物を差し出し、馬を引き取りました。飼い主はさも得をしたように、ようようと立ち去って行きました。
太郎は倒れた馬のそばに座り込み、やさしく背中をなでながら語りかけました。
「大丈夫ですよ。きっと元気になりますから」
太郎は近くの小川から水を汲んできて馬の口に含ませ、柔らかい草を食べさせてやりました。そのままつきっきりで看病いたします。不思議なことに、太郎の愛情が通じたのか、馬は少しずつ元気を取り戻してまいりました。
しばらくすると、馬はすっかり元気になり、立ち上がって太郎の肩に鼻先を寄せました。それはまるでお礼を言っているかのようでした。
「よかった、よかった」
太郎は馬と一緒に西へ向かいました。馬は太郎を慕って、まるで長年連れ添ってきたかのように、並んで歩きました。
やがて大きな城下町に着きました。立派なお屋敷の前を通りかかりますと、そこの旦那様が馬を見て目を輝かせました。
「これは見事な馬ですな。どこで手に入れたのです」
「はい、道で病気になった馬を引き取りまして」
「病気の馬がこんなに立派になるとは。あなたの愛情のおかげでしょうな。実は、うちの娘は馬が大好きなのです。この馬を譲っていただけませんでしょうか。そうですなぁ、千両でお買い取りいたしましょう」
千両という大金に太郎はびっくり。その場にひっくり返り、気を失ってしまいました。
気がつくと、美しい娘さんが太郎の額に冷たい手拭いを当てて、心配そうに見つめておりました。
「大丈夫ですか」
太郎がよく見ますと、それは以前蜜柑を差し上げたお嬢様でした。
「あなたは、あの時の」
「はい、のどが渇いて困っていた時に、蜜柑を譲っていただいた者です。あの時は本当にありがとうございました。あなたは命の恩人です」
お嬢様の父親であるお屋敷の旦那さまは、太郎の人柄にすっかり感心してしまいました。
「あなたのような心やさしい方にこそ、娘を嫁にもらっていただきたい」
こうして太郎は、一本の藁から始まった不思議な縁で、美しい奥さんと大きな財産を手に入れることになりました。
こうして大金持ちの長者になった太郎は、それでも決して驕ることはなく、今まで通り人に親切にし、困った人がいれば助けました。そうしますと、ますます太郎の評判は良くなり、人に親切にすればするほど、太郎に良いことが返ってきました。
こうして、太郎とお嬢様は末永く幸せに暮らし、村の人々からも慕われる立派な夫婦になったということです。
おしまい
スポンサーリンク
最近のコメント