あなたはいま
自分の脚で立っているか
頼りなく
膝が笑おうとも
力を込めて腕を拡げ
自分の脚で立っているか
冷ややかに
皆が笑おうとも
遥かな天を仰ぎ見つめ
自分の脚で立っているか
あなたはいま
あなたはいま
自分の脚で立っているか
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詩 夜咄頼麦
あなたはいま
自分の脚で立っているか
頼りなく
膝が笑おうとも
力を込めて腕を拡げ
自分の脚で立っているか
冷ややかに
皆が笑おうとも
遥かな天を仰ぎ見つめ
自分の脚で立っているか
あなたはいま
あなたはいま
自分の脚で立っているか
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これは頼麦さんがご自身に問われているのか?
私たちに問いかけてあるのか? 悩ましいところではありますが
「自分の脚で立つ」というと凄くカッコよく聞こえるけれど
実際はそんなに難しいものではない気がします。
個人的に考えると「結婚」が私の自立になりました。
ずっと実家暮らしだったから。
夫婦といえどもそれぞれの人格があって、好きなことはわかりやすいから、嫌いな事を先に覚えて敬意を持ちつつ
主張は適宜にタイミング見てお互いに過ごしてきました。
歳を重ねて思うことは「自分の脚で立つ」という事は
自分の人生を自分自身で選び取って行くことではないかと考えます。
誰かに甘えたくなることもあるし、病が襲って来た時など
不安で立っているのがやっとという事も。
その選択が正解なんて誰にも分からないけれど
「選んだ」という事実だけが、自分の誇りのような気がします。
自分で選ばんと人のせいにする他責思考に陥る危険性もあります。
ただ、ここで勘違えてはいけないのが
「誰にも頼らず、時分だけでいきていく」と思い込んでしまうことではないでしょうか。
人間味一人では生きていけないし、しんどい時に誰かの力を借りる事も、SOSを出せることも「自立化している」と私は捉えます。
だって、自分の意思で助けを呼べたのだから自分の意思決定ですよね。
助けを呼んだその選択の積み重ねが「自分の脚で立つ」に
繋がっていると思います。
世の中には『助けて』と言い出せずに苦しんでる人が少なからず射ます。
詩の中にあるように、くじけてへたり込んで空を見上げる日もあるでしょう。
一人で解決出来ない問題は一旦横に置きましよう。
そして、差し伸べられた手があったら、どうぞしっかり握って立ちあがつてください!!
誰にも迷惑はかけない、誰の力も借りないというような
微妙なプライドは捨てて、自分の心に正直に選択を島しよう。
その経験が、後々あなたの中に柔軟さを作り上げて
人生を楽にしてくれるような気がします。
私はそうでした。
人間という動物は柔軟さがとても大事になつて来ます。
しなやかさがあると、問題が起こった時にポキンと折れにくいと感じます。
「自分の脚で立つ」頼麦さんにまた改めて気付きをいただきました。
ありがとうございます