若さに任せてこけちゃって
うつ向く日々があったなあ
なにをする気も起きなくて
ただただ自分をなげいてた
部屋から出れないその上に
食事ものどを通らない
それでも母は気づかって
おさらを置いてくれたっけ
誰かが動けずいるのなら
こんどはぼくが支えたい
拒まれ突っぱねられたって
おさらをぼくが届けたい
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詩 夜咄頼麦
若さに任せてこけちゃって
うつ向く日々があったなあ
なにをする気も起きなくて
ただただ自分をなげいてた
部屋から出れないその上に
食事ものどを通らない
それでも母は気づかって
おさらを置いてくれたっけ
誰かが動けずいるのなら
こんどはぼくが支えたい
拒まれ突っぱねられたって
おさらをぼくが届けたい
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素敵なお話ですね。
優しさは、巡るのですね。与えられたなら、今度は自分が誰かにと。
世の優しさ・愛情は巡り譲渡され続けるものであって欲しいですね。
優しいなぁ…
かわいいなぁ…
愛が溢れていますね️❀(*´◡`*)❀
拒まれてもおさらを届けたいなんて勇気がいるなって思ってしまいました。
私も子どもの頃は母がおいてくれました。
大人になって実家を出てからはずっと誰かにおさらを置いてきたような気がします。
思い返してみると大人になって今まで誰かがおさらを置いてくれたのはほんの数回。
持病のめまいが出て動けなくなった時に家族が2回。
近くに住みながらもう何年も会っていないお友達が来て食べる物を持って来てくれたことがありました。
この詩を読まなければ、誰かがおさらを届けて置いてくれるなんてこと考えもしなかったです。
誰かに何かしてもらうことは申し訳ないって思ってしまうけど、
心身が弱っている時におさらを置いてもらえたらやっぱり嬉しいのかもしれないなって思いました。
この詩を読んで泣きました。
凹んだ時だったから。
いま私の目の前に、あなたがおさらを置いたなら
泣き崩れてしまうよと。
あなたが辛いとき
お母さんがそっとおさらを置いてくれたのね。
あなたへの愛情そのものですね。
そして、苦しんでる人に気付いたら、今度はあなたが
おさらを置くのね。
そうやって、与えられた愛情は廻りめぐって広がって
優しい世界になってゆくのね。
初めて聴いてから、5ヶ月近く。
昨夜日記ラジオで話してましたね。
受け取ったおさらが私から他の人に渡すことが出来たら
幸せの連鎖。
そうやって生きてきたつもり。
まさに「おさらのバトン」を渡すように。
けれども、これはあくまでも理想形。
今回は更に身近なことで考えてみた。
あなたは悩んでいる人が、助けを求めてきたときに
どんな対応をしていますか?
ちゃんと考えてあげられていますか?
勿論、正解は出ないかも知れない。
けれど、あなたの出来る範囲で、できる限りの事をしていますか?
忙がしさにかまけて、おざなりになっていませんか?
そう、自分の胸に問いかけた日になりました。
私は悩みや相談事を聴くときに守っていることがあります。
まずは、ポーカーフェイスで居ること。
例えば私より若いかたの場合、年上だから理解してくれるはずだと、想いを打ち明けられる。
けれども、歳を取っているだけで、たくさんの経験を積んでいるとは限らないし、同じ体験をしているわけではない。
内容によっては、冷や汗を掻くこともありました。
しかし、誰にも相談できずに苦しんで、私を頼って来たのだから、私が驚いたり、顔色を変えたりしたら、なんとも思うだろう。
「あ~言わなければ良かったぁ」とその人を余計に苦しめることになる。
だから、若い頃は特にポーカーフェイスは必須だった。
でも今は、私も色々な事に遭遇してきたから、少々の事では
たじろぐ事は減りました(笑)
聴いた内容は外には漏らさない。絶対!!これは当然の話。
御本人が口にしない限り墓場まで盛って行く所存です。
この二つは相談された者の礼儀だと考えています。
話が少しずれたかも知れませんね。ごめんなさい。
おさらに受けた哀しみはこ、取りこぼしてはいけないのだと
思います。
そんなことに想いを馳せた1日でした。