【フリー台本】勇者の哀愁【1人用 |10分】

勇者の哀愁

夜咄 頼麦 作

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この文章の著作権は夜咄頼麦に帰属しますが、朗読についての著作使用権は解放しております。YouTubeでの朗読、声劇、そのほか音声表現活動などで自由にお使いください。

その際、この原作ページのURLを作品などに掲載していただきますよう、お願い申し上げます。

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川沿いを歩いて上り、橋を二つ渡るとカレー屋が目に入った。下調べをした際には昼時に混むとの情報があったが、早めの段取りが幸いして並んでいる様子もない。

旅の最中の御一人様にも慣れたもので、何の抵抗もなく入店し、階段を降りて、切り株で作った席についた。なかなか洒落た内装である。どうやら他に客は居ないようだ。

案内役の女性は物腰柔らかで愛想もよく、好感の持てる接客ぶりである。お冷を受け取り、予め心に決めていたスペシャルメニューを注文した。旅先では出し惜しみをしないことが私の流儀である。

厨房では一人の男性店員が調理を始めており、その手際もなかなかのものだ。時折、楽しげな会話も聞こえてくる。長く二人で店を切り盛りしているのだろう。

感染症対策の仕切り越しに画面の国際情勢を眺めていると、お手洗いから一人の女性が姿を現した。自分の他に客は居ないと思い込んでいたが、どうやら違っていたらしい。

飾り気のないシャツに、すらりとした白いチノパン。鞄の大きさを見るに、どうやら旅人である。しかも、連れが居ないところを見ると、私と同じ一人旅のようだ。

平日の昼間、静かな店内に旅人の男女が二人きり。私の脳内に筋書きが浮かび上がる。少し彼女の方が注文は早かったが、私が急げば会計の時間を合わせることができるだろう。

階段を上る肩越しに「美味しかったですね」と声をかけ、品評会で盛り上がる。これも何かのご縁と、二人で観光をすることになる。渓流や神社の参拝を経て土産物屋に寄り、別れ際には連絡先を交換。完璧な計画だ。

スペシャルメニューへの期待に踊っていた私の胸は、いつしか別の踊りを始めていた。温泉街のロマンスなんて、運命も粋な計らいをするじゃないか。空席など間に挟まず、隣の席に座っていれば良かった。

しかし、一杯に膨らんだ私の妄想は長続きしなかった。

「八人なのですが」

どやどやと入ってきたのは男ばかりの大所帯である。体格と服装を見るに、ツーリング仲間といったところだろう。

彼らは遠慮もなく私と彼女の間の席に陣取り、注文の検討を始めた。これでは雰囲気も台無し。ロマンス実現の難易度が上がってしまう。

私は運ばれてきたご馳走に目を落とし、食べることに集中し始めた。ぐつぐつと煮立ったカレーや、甘めのソースが合う柔らかなトンカツ。唸りながら舌鼓を打っていると、俄に団体客が席を離れ始めた。

何事かと見ていると、どうやら巨大な蜘蛛が食卓の側の壁に発見されたらしい。追いやろうとすると、素早い動きで躱し、隅の方へ逃げていく。

案内役の女性は怖がり、男性店員は調理で手が離せない。旅の女性は我関せずと食事を続け、頼みの八人衆は揃いも揃って腰抜けのようだ。

どうやらこの場を収める配役は自分に割り当てられたらしい。私は帽子とマスクを身に付け、店員に頼んでゴム手袋とペーパータオルを装備した。

魔物は素早い動きで翻弄してくる。隅から隅へ、時には額縁の裏へ。あんなに巨大な蜘蛛は街中では見かけない。八人衆が怖気付くのも無理はないだろう。

蜘蛛は長い脚を器用に持ち上げ、こちらを威嚇してくる。本音を言えば、討伐は不可能だと叫んで諦めてしまいたい。しかし、席を立って装備を整えた以上、もう逃げることはできない。

意を決した私は素早く腕を伸ばし、遂に奴を手中に収めた。道を開けてもらい、感謝と歓声の門をくぐって外に出る。

小走りに道を渡り、奴を逃がすことができる場所を探す。手に伝わる感触には意識を向けまいと必死である。私は、厄介な客を川沿いの茂みに優しく放してやった。

店内に戻った私を取り巻く状況は、あたかも勇者の凱旋であった。

「本当に助かりました!ありがとうございます」

「イケメンすぎる」

「勇者だ」

果たして、手の震えが止まらず、膝も笑う男を勇者と呼べるのだろうか。なんでもない風を装って席に戻った私は、置かれていた水を飲み干して息をついた。

収まらない震えに、グラスの氷が微かな音を立てる。その様子を見た案内役の女性は、息を弾ませ、私に向かってメニューを差し出した。

「お礼にドリンクをサービスさせてください」

せっかくの申し出であるから、オレンジジュースをいただくことにした。勇者にも幼気な一面があるらしい。

落ち着きの戻った店内で、私の食事は全く進まなかった。たった今起きた出来事の余韻に浸っていたのである。

我ながら、勇気ある行動だった。戦闘は困難を極めたが、一生語ることのできるネタを仕込めたと思えば、安い行動であった。

満足気に温泉卵を割ると、鮮やかな黄色が走る。なんと美しい眺めだろう。今回の旅は、この瞬間のために始まったのかも知れない。

「1900円になります」

声に顔を上げると、先ほど妄想の中でロマンスを演じた女性が会計を済ませていた。一連の騒動の最中も、不動の心で食事を進めていたらしい。

「あ、ちょっ…」

今から残りをかき込んでも間に合わない。私の頭の中で、甘い計画が音を立てて崩れ去っていく。

結局のところ、私は彼女が去るのを見守るのみであった。魔物の討伐を果たした勇者は虚空をぼんやりと見つめ、哀愁を漂わせていたのだった。

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1 個のコメント

  • なんて面白いハプニング。
    この場に居たいくらい面白い。
    情景が、はっきりと目に浮かびました。

    私な住むところは、田舎なので虫が沢山います。もちろん蜘蛛も。家族の中で、虫の討伐は私のお役目。でも、ちゃんと逃してあげるあたりお優しい青年ですね。

    人間見た目だけでは、どんな人か、何を考えているか、何が苦手なのか全くわからないものですね。
    店内でたまたま一緒になった別のお客さんが、甘い妄想しているなんて夢にも思わないでしょう。
    ひとり旅、色々あって楽しそうですね。
    私も仕事投げ出して、どっか行きたくなりました。
    でも、その一歩が出せない自分は一人旅デビューまで、まだまだ道程は長いのでしょう。
    がんばろ。

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