空の宝石
夜咄 頼麦 作
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この文章の著作権は夜咄頼麦に帰属しますが、朗読についての著作使用権は解放しております。YouTubeでの朗読、声劇、そのほか音声表現活動などで自由にお使いください。
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春になれば、全ての氷が溶けると思っていた。春になれば、出不精な人間も動けると思っていた。それは大きな間違いだったらしい。
閉め切ったカーテンから漏れる陽光が私を陰鬱な気分にさせる。かつては陽を浴びれば気も晴れる単純な人間だったはずだ。一体、どこで歯車を掛け違えてしまったのだろう。
ぼんやりと頭の奥で警鐘が鳴っている気はするが、手元の端末から目を離すことができない。中毒性を承知の上で辞められない。酒や煙草と同じだ。薄暗い部屋で明るい画面に吸いつく自分は、街灯に群がる羽虫と変わりなく映るだろう。
外が騒がしい。ああ、煩い。うるさいうるさいうるさい。今は孤独に浸りたい。それを妨げる全てが煩わしい。
「もう、どうだっていいな」
何もかも、どうだっていい。戦争が起きていようが、円安になろうが、船が沈もうが知った話ではない。今の自分には、今対峙している夜の森のような重い闇が全てだ。この闇を切り抜ける方法だけを知りたいんだ。
だらしなく蹴飛ばされた季節外れの羽毛布団を抱え込む。この部屋だけが世の移り変わりから取り残されている。追いつくだけの気力はとうに萎えた。八方塞がり。絶体絶命。万事休すだ。
「返して!ナシだよ!!」
ふと耳に入った叫び声に、虚空に投げていた目の焦点が合う。どうやら外の世界の声らしい。何が、無しなのか。私の憂鬱に比べたら、どうせ大した問題ではない。一瞥し、一つ鼻で笑ってやろう。
突き放すように布団を追いやる。カーテンを開く。傾きかかった強気な陽射しに目を細め、乱雑に鍵と引き戸を開ける。ベランダに踏み出した私はあまりの明るさに目を瞑った。
「う、まぶしいな」
右手で庇を模り、恐る恐る目を開けた私は唖然とした。
赤、黄、緑、青。あらゆる色彩を放つ宝石が空を舞い、涼やかな風に乗って流れていく。乱反射した横殴りの光は、青く澄んだ空に遠く溶けていく。薄闇に慣れた目には美し過ぎる。一体、この鮮やかな景色はなんだ。私はその正体を知るべく、目を落とした。
眼下の道路でじゃれ合う兄弟。片割れが咥える二本の吹き出し口から、次々にシャボン玉が生み出されては昇ってくる。そうか、シャボン玉か。兄が道具を独り占めしたんだな。
久しい外の世界に、奇跡を錯覚してしまったらしい。空に浮かぶ宝石なんて、ある訳がないじゃないか。おかしな幻覚を見たものだ。
知らず知らず、私の口元は緩んでいた。あれ、笑っている。気づけば、先刻まで遠く思えた外の世界に立ち、微笑む自分がいた。抜け出せなかった牢獄も、今ではただの悪い夢に過ぎなかったと思える。不思議なものだ。
彼ら兄弟は、彼ら自身にそのつもりは無くとも、私にとっては小さな恩人となった。人は、こうして知らず知らずに関わり合い、救い合って生きるのだろう。どうせ生きるなら、私も誰かの生きる糧になりたい。なれれば嬉しい。
「まずは、模様替えかな」
いつかの誰かの恩人は呟き、空の宝石の輝きを瞼に焼き付けるよう、目を閉じた。
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周りのすべてが消え去れと
思うことがあります
音が嫌になったら
イヤーマフか耳栓
それはカバンや机の引き出しやら
いつも入れてます
らいむぎさんは
それでも
人との繋がりを
大切に思える
私はあらゆる面倒な
繋がりを切ることで
やっとやっと
心が自由になった
らいむぎさんのご両親
ご家族
そんな家族に生まれていたらと
悲しくなることもある
でもね
これがたった一度の私の人生
やっと得た心の自由
そんなときに
らいむぎさんの言葉と
出会えて
感謝
暑い日が増えましたね。
素敵なお話。とても身近で、何気ない日常の1つですが、誰かの心を動かしている素敵な日常。
私もいい歳ですが、縁側でしゃぼん玉するの好きです。晴れた日は空を眺め、流れる雲を見ながらしゃぼん玉飛ばします。満足したら、そのまま縁側で居眠り笑。
子供っぽいと笑われるけど、私には必要で大事な時間なのです。できる限り脳内を空にして、目に映る風景を心ゆくまで眺め、肌で季節を感じるこの時間が大事なのです。
また、素敵な物語聴かせてくださいね。素敵でなくとも、思うまま、感じたままの物語は、私にとって義体験。私一人では、知り得ないたくさんの体験を誰かの描く文からたくさん感じ取る。面白いから、読むことはやめられない笑
そろそろ水族館の海月眺めて、涼むのにも良い気候になってきたなぁ~テレビで見かけるたくさん金魚がいるライトアップされたあれも見てみたいなぁ〜
気ままにひとり旅しちゃおうかな♪
絶不調の時 外が大晴れって憎らしいよね。
カーテンから漏れ入る光さえも鬱陶しく感じます。
気持ちがよくわかる文章が連なって、苦しさが伝わります。
けれど、外で騒いでいた子ども達に救われましたね。
大きな声を聞いて、ふと、気持ちが外に向かう。
人間はなかなか変われないけれど
一瞬で変われることもありますね。
子ども達が飛ばしたシャボン玉に奇跡を見た頼麦さん。
良かったね。
口元が緩んだことにも気がつけた。
私もね、少し苦しい時期があった若い頃、自分が笑って写っているスナップ写真を見て、はっ!としたのよ。
「あー私ってこんな笑顔が出来るんだあ」って。
今は、少ししんどいけれど、大丈夫。
また、こんな風に笑える日が来るさ!と信じられた。
アルバムからその写真を一枚剥がし、目につくところに貼りました。
いつでも最高の笑顔を見せてる私を焼き付けるために。
あれから、色んな事を笑い飛ばして生きてきたけど
本質はちっとも変わってない。
ただ、考え方、捉え方が変わっただけ。
人との距離感は重要で、大切にしたいと思います。
でもねぇ、いまだに具合いが悪い日の、晴天は憎らしい。
目隠しをして布団に潜り込む。
これは、さすがに変わらないなぁ。