夢酒
夜咄 頼麦 作
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もくじ
昔から、多少のお酒は身体に良い。百薬の長だなんて言葉もあります。これには諸説ありますが、一つだけわかっていることは、飲み過ぎは身体に良く無いということです。
身体を壊したり、最悪の場合、依存症だなんてことになりますと、生活も破綻し、取り返しのつかないことになります。
しかし、お酒の好きな方は、そんなことは知っていても、なかなか自分の意志でやめるなんてことはできません。
これはお酒に限らずタバコやギャンブルなんかもそうですね。
東京のある小汚いアパートに不況で仕事を失っている30代のサラリーマンが、奥さんと二人で住んでおりました。
男の名前は金田啓太。
ここではケイさんと呼びましょう。ケイさんはこれまで何年も会社の事務を務めていた男でございまして、仕事上の珍しい特技などは持ち合わせておりませんでした。
学歴も平凡でパッとしなく、目につく特徴もなかったため、なかなか次の仕事にありつけておりませんでした。
面接を受けては落ち、受けては落ち、次に何をするのか、何をしたいのかなんてことも見失い、だんだんとお酒に溺れ、タバコの本数は増え、ついにはギャンブルにまで手を出すようになってしまいました。
ギャンブルなんていうものも少し触る程度ならまだ良かったのですが、ケイさんはハマってしまうタチだったようで、どんどんどんどんお金はなくなっていきました。
毎晩飲むお酒に、価格の上がり続けるタバコ、そこに加わるギャンブルです。
これまでの会社勤めで貯めたお金というものもみるみるなくなっていきまして、家計は火の車。
ついには借金まで抱えてしまい、たった一人そばにいる奥さんも困り果てていると言う状況でした。
そんなある朝のこと。
ケイさんはあることを楽しみに、いつもより早く目を覚ましました。
この日は、ケイさんがなけなしのお金で買った宝くじの当選番号が発表される日だったのです。
「僕はこの宝くじで億万長者になる」なんて夢物語を呟き、昨晩のお酒の二日酔いで重い瞼を無理に開けて、スマホで宝くじのホームページを開きますと、その中程に宝くじの結果が載っておりました。
「あったあった。これだこれだ」
ケイさんがぼやけた目で数字の羅列を追いますと、この宝くじの番号の中に、何やら見覚えのある番号の組み合わせがありました。
まさかと思い、はやる気持ちを抑えて、三枚買った自分の宝くじを順に見比べていきます。
「頼むぞぉ…あってくれよぉ…99組…違う、違う、違う。まあいい、まだ初めだしな。えーっと…39組…違う、違う、違う。まあいい、これっぽっち当たったって仕方ない。」
そんなことをぶつぶつ言いながら見比べます。
「16組…あぁ、なんだっていうんだ。かすりもしないじゃないか!残すは…一等か」
手に汗を握るとはこのことで、左手にもつ三枚の券は、多少湿ってきております。
「23組…違う、違う、ちが…ん?」
ケイさんは一瞬、目を疑いました。
なんと、最後の一枚が一等と同じ23組だったのです。
まさかと思って番号も確認しますと、驚いたことにこれも全く同じです。
ケイさんは自らの目を信じることができず、組数に番号、番号に組数と、何度も何度も舐めるように確認し、なんなら反対から読んでみたりしました。
しかし、何度眺めてみても、番号は全く同じです。
ケイさんは「そうか、これは夢だ」なんて思ったのですが、万が一ということもあります。
事実を確認するため、彼は部屋着から着替えることも忘れて、近所のスーパーのチャンスセンターに向かいました。
お目当ての窓口で券を見せ「券とお金を引き換えたいのですが」と伝えますと、事務の方が券を機械に通しました。
数秒の後、中の人が息を飲む様子がアクリル板越しに見えました。
「ご案内いたします」と最寄りの銀行に案内されまして、後は世間で噂されている通り、ケイさんは特別な待遇を受けました。
そして数十分後には、一人の億万長者が誕生しておりました。
まずは当選金の入ったアタッシュケースを嫁に悟られないように家に持って帰ります。
リビングにいる嫁に気付かれぬよう、そろりそろりと自分の部屋に入った彼は、おそるおそるケースの中身を確認しました。
そこにはとんでもない光景が広がっておりました。
今までの人生で一度たりとも見たことがない、札束の量です。
これをぼーっと眺めておりますと、不意に背後から「なんです、その大金は」と声がしました。
ケイさんが振り返ると、そこには目を見張った奥さんがおりました。
「しまっ…いや…宝くじに…当たっちまったみたいなんだ」
「しまった、とはなんですか。あら…これ本物のお金じゃない」
「そりゃあそうさ。銀行おろしたてサラッサラの札束だよ。まぁ、こんだけありゃあ、一生遊んで暮らせるな」
「そうだといいけどねえ」
現金を一目見て安心した彼は、大金を自分の銀行口座に戻しますと、通販で欲しいものでも買おうかと大手通販サイトを開きました。
かねてから「欲しいなぁ…でも手が出ないなぁ…」と購入を躊躇していたものを片端からカートに突っ込み、クレジット一括で購入します。
ゴルフクラブに高級腕時計、さらには、出前も取り放題です。
寿司にうなぎに天ぷら。
これまでうまくいかなかった鬱憤を晴らすかのように、どんどんどんどん買っていきました。
使っても使ってもお金は余っておりますから、お酒を飲む量もタバコの本数も増え、暇があればギャンブルに興じました。
毎日遊んで帰り、ご馳走を食べて酒とタバコにまみれ、酔い潰れて寝る。
遊んで食って酔って寝て、遊んで食って酔って寝て。
それを繰り返しているうちに、嫁はだんだん愛想をつかしました。
「ねえ、そろそろやめたほうがいいんじゃない?このままじゃ、またすぐ貧乏暮らしに戻るわよ?」
「いいじゃないか、こうでもしないとやってられないんだ」
「あなたの身体も心配なの」
「僕の胃袋は大きいし、お酒にも強いんだ」
その一言で限界だったケイさん。
すっかり酔っ払って、深い眠りについてしまいました。
次の日の朝、奥さんが食卓で酔い潰れていた彼を起こしにきました。
「あなた、起きなさいよ!あなた!起きて、今日は大事な面接の日でしょう?」
その声に彼は目を覚まし「面接だって?」と嫁に聞き返しました。
「面接なんて行くわけないじゃないか」
「何寝ぼけたことを言ってるの。あれほど入りたい、もうここしかない!って言っていたじゃない。せっかく珍しく最終まで残ったんだから」
「珍しいは余計だよ。なんにせよ、僕は今や大金持ちなんだ。わざわざ面接なんて行って、誰かの下につくなんてまっぴらごめんだ。仕事なんてしなくても一生食べていけるさ」
そんなことを嫁に申しますと、嫁の方はとぼけた顔をしまして、
「あなたついにおかしくなっちゃったの?酔っ払って頭のネジが飛んでしまったのかしら。酒は飲んでも飲まれるなって言うじゃない。しゃんとして、面接に行ってきなさいよ」
こんなことを申します。
「何を言っているんだ!」と彼は言いました。
「ここに昨日食べていたご馳走、飲んでいたお酒もあるじゃないか!夢だって言うなら、僕の買ったこの高級腕時計は…」
彼が腕を見ますと、そこに腕時計はありません。
それどころか、部屋中何もなかったかのように、きれいに片付いておりました。
「おいまさか…本当に夢だったのか?じゃあこのご馳走と…お酒の量はなんだ!?」
「何言ってるの。あんなに止めたのに、酔って宝くじがどうのって言って、勝手にあなたが飲み食いしたんじゃない」
それを聞いたケイさん、顔が青ざめまして、
「おい…じゃあ、宝くじに当たったのが夢で、こんなに贅沢したのは現実ってことか…?こりゃ…とんだ間抜けじゃないか」
さすがのケイさんも、肩を落としました。
すると奥さんは「どんな夢を見たか知らないけど、あなたは本当は真面目な人よ。どんなに貧乏でも、ここまでやってこれたじゃない。貧乏だっていい。あなたがやりたいことを一生懸命やってる姿が好きなの」
「おまえ…」
男はその言葉を受け止め、噛み締めるように何度も頷きました。
そして、
「夢、かぁ…そうか、僕はそんな夢まで見てしまう程、落ちぶれていたんだね。なぁ、おまえ。そうやって言ってくれるなら、もう一回だけチャンスをくれないか?今日の面接に無事通って、一生懸命働くからさ。迷惑をかけてばっかりだけど、また、お前と楽しく暮らすために、僕は頑張るよ」
彼は決意の刻まれた面持ちで最終面接に向かい、熱意を伝え、見事に内定を勝ち取りました。
会社に入ればこちらのもの、元は真面目な男です。ハナから失うものは何もございませんので、鬼のように働きます。
もともとスキルも特技も何もない彼ですが、そこからは勉強にも熱心に精を出し、今まで持っていなかったITスキルや、経営計画の資格なんてものも取得しまして、みるみる昇進を致しました。
そして3年後、すっかり見違えるように立派になった彼は、以前、酒にタバコ、ギャンブルで抱えていた借金を見事に返し切りました。
そして、その借金を返し切ったその日、彼はダイニングに奥さんを呼び、口火を切りました。
「今日まで本当によく支えてくれたね。ついに借金を返しきったよ。でも、マイナスがゼロになっただけで本当の勝負はこれからだと思ってる。まだまだ生活に余裕なんてないけど、もう一度お前を幸せにするために一生懸命頑張るよ。こんな駄目な僕だけど、これからも側で支えてくれないか」
それを聞いた奥さんはすっと目を伏せたと思うと、今度は夫を見つめ、重そうな口を開きました。
「実はあなたに話さなきゃいけないことがあるんです」
「なんだ、改まって。まさか、僕が忙しくしているうちに、誰か他の男と会ったりしていたのかい?」
「そんなことはしないわよ」
「冗談だよ」
奥さんは、少し言い淀んだ後、
「実は…三年前、あなたに夢だって言った宝くじ…夢じゃなかったんだ」
「宝くじ?何の事?」
「ほら、三年前、あなた宝くじを当てたって…そう言って、色々好きなものを買ったり、お酒やタバコに明け暮れていたでしょう?」
「あぁ…そんな時期もあったかな…あぁ…本当に迷惑をかけたよ。ごめんな」
「それはいいのよ。その時は辛い時期だってわかっていたから。でも…宝くじに当選したのは夢じゃなかったの」
「宝くじ…夢…」
ケイさんの頭に、夢と聞いて忘れかけていたことが思い出されました。
23組の当選券、チャンスセンター、ゴルフクラブ、高級腕時計…
奥さんはもう少しで思い出しそうなケイさんの様子を見て、部屋の奥に隠していたアタッシュケースを取り出し、食卓の上で彼に見せました。
震える手でケースを開け、大金を目にした彼は、
「これはあの日夢で見た大金じゃないか」
そう言って、ひと束の札束を手に取り、まじまじと眺めました。
「そうなの。あなたに嘘をついてこの大金を隠していたの」
それを聞いた男は「お前!僕が何のために…!」と席を立とうとしました。
しかし、彼はそのまま腰を下ろし、もう一度自分の中で気持ちを整理しました。
そして、嫁を見つめて話し始めました。
「お前が僕の当てた大金を隠していた事は、それはもうショックだよ。だって、そのお金があればこんな必死に働かなくたって、もっと早くに借金を返すことができたんだからね。でもね。お前がそうやってこの大金や買ったものを隠してくれたお陰で、僕は心を改めて真っ当に働くことができた。今では、あの時無かったスキルや資格だってあるし、もう仕事に困る事は無いだろう。お前のおかげで僕は更生できたんだ。だから、謝る必要はないよ。僕は支えてくれたことに感謝こそしても、怒ったりはしないよ。安心しておくれ」
それを聞いた奥さんは「いや…確かにあなたのお金は隠していたんだけどね…ゴルフバックや腕時計は…あの日フリマアプリで売ってしまったわ。梱包が大変だったわよ」
それを聞いたケイさんは「なんでだよ…そこは取っておいてくれよ…」と内心思いつつ、しかし、どうにか口にせず思いとどまりました。
奥さんは「まぁ…お詫びと言ってはなんだけど、今日は借金を返しきった記念日ね。あなたの好きな石川県の日本酒を用意しておいたわ。どう?今夜くらいは飲んだっていいんじゃない?今注いであげるわよ」と夫に向かって言いました。
ケイさんは「これは…僕の一番好きな日本酒じゃないか。通販では売っていなくて、なかなか手に入らないのに…お前、よく手に入れてくれたなぁ。ありがたいなあ…おっとっとっと。いやぁ、気持ちの良い注ぎっぷりだ。ありがとうな」
ケイさんは、溢れんばかりのおちょこを大事そうに手に持って、口にする寸前で止めました。
そして、ひとこと言いました。
「いや、やっぱりやめておこう。また、夢になるといけないや」
おしまい
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落語を題材にした作品は、楽しいですね。
原作を凌ぐような仕上がりで、舌を巻きます。
落語は20代から好きです。古典も好きですが、創作落語なども見に行ってました。
落語家の(旧)三枝さんの「ゴルフ夜明け前」とか、明治維新辺りの話でした。
今後も日本のお話、海外の童話を、紹介してくださいね❗
また、落語題材のオリジナルも期待しています。