目の前の画面をやけに眩しく感じるようになり、カーテンの向こうで陽が沈んだことを知る。今日も何もできないまま一日が終わった。ここ数日は触れるだけで心を取り落とすような凄惨な悲劇が目につき、なおのこと引き受けるものが重い。普段の自分ならば能天気に自転車に乗って気を晴らすところだが、その初動をつくる燃料すら部屋のどこを探しても見つからない。この前失くした消しゴムは雪のように積もった書類の下から発掘できたのだが。そういえばおみくじに失せ物は見つかり難いと書いてあった。
やり切れなくなって酒に溺れたり、五日前に賞味期限の過ぎた肉の容器を朧げに見つめたり、目が覚めたら多少は心身が上向くことを願って眠りについたりしても、何も状況は変わらない。楽しかった思い出や嬉しかった言葉に思いを馳せ、過去に縋って自堕落な生活を送る。何度経験したって慣れるものではない。あんなに沸いていた発想も、尽きることのない活力も、全てを鮮やかにする色眼鏡も失ってしまった。一寸先に光があると信じることができたなら、どんなに楽になれるだろうか。
応援してくださる方々が増えるに伴い口と責任とが重くなっても、自らの本質は大して変わらない。無能と万能とを繰り返して生きるしかない。
しかし、不甲斐ない自分を、弱くて無様な自分を知っているからこそ、生み出す作品を通じて生きることを肯定したいと強く思う。こんな限界人間でも地を這いつくばって生きている。停滞し淀んだ社会に希望を見出せなくても、生活を脅かされ命を失った見知らぬ同胞を思う心の痛みが消えなくても、生きていかねばならない。生きていかねば、ならない。
創造性を取り戻し支えてくださった皆様の愛情に報いるため、希望を見失わなければ春は来るのだと伝えるため、見つかり難いと宣う失せ物を探すことを諦めない。失くした消しゴムを見つけることはできたのだから。
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落とし物
小学校一年生のころ、中々物を買って貰えなかったころでした。ミトン(5本指ではない手袋)を買ってもらいました。紐で左右が繋がって首にかけています。ところが片方の手袋が見つからなくなりました。母は「見つかるまで探してきなさい」と
言いました。もう薄暗くなっていました。学校までの道をキョロキョロ探しましたが見つかりません。学校の角の交番が目にはいりました。何と思ったか、藁をもつかむ思いだったのでしょうか「手袋をおとしたの…」と尋ねました。「これかな?」と駐在さんが私のミトンの片方を
出してくれました。
それ以来、落としもの、忘れ物を見つけると「落とした人は探しているかもしれない」と些細なものも笑いながら届けることにしています。私は傘1本忘れないし盗まれることもありません。70年前の私の失せ物の思い出ですがしゃべれないから、主が諦めないで探してあげなけれ
ばいけないのですよね。
らいむぎさんの失せ物は探して見つかるものではなくて、取り戻せない過去の時間なのではないでしょうか、それが諦めきれなくて冬ごもりになってしまうのかなぁと78才の私は案じています。
父は1級建築士の免状を持っていました。亡くなる前に「自分で設計した家を建てられなかったことが残念だった」と言ったそうです。
らいむぎさんまだまだお若いです。いつか勉強したことが生かせることが、時が巡ってくることと思います。
「持病」は誰にもあります、はね除ける強さを持ってください。
耳鳴りが酷くて眠れない夜を過ごしていた私が7~8時間、熟睡できるようになったのです。
励ましにもならない内容ですが
優しいだけに、元気❗️出して❗️
と応援したくなります。(婆)
お疲れさまです。
だいぶモヤモヤぐるぐるお疲れのご様子。
人生色々ありますし、人もそれぞれ事情と言う物がございます。私は今日仕事では、ポンコツ炸裂。強風のため駐車場で隣の車に戸が打つかる。連日続く長時間残業に内蔵が悲鳴をあげ始めております。やんなちゃ〜う。
浮き沈みも世の常。移り変わりも世の常。心変わりも世の常。
だいぶ登録者様も増え、色々気苦労、気遣い絶えませんよね。
世の中気遣ってばっかりで、息苦しくて吐いちゃいそう。なぁんて思いながらも、何となく日々生きている人間が私です。心はとうの昔に枯渇して麻痺してる。
人生長いようで、短い。いつ何が誰におきても必然である。そんなに悲観なさらずに頑張りすぎずに頑張りましょう。明日は、な〜んて自分にプレッシャーかけずにゆるりと気の向くまま、向かないなら動かずに。今は成されるがままでいましょう。
人間完璧なんて、面白くなくてよ!完璧じゃないからこその愛嬌、愛おしさ、面白さがあって何が悪いの?何も悪くないわ。完璧なんて丸めてポイよ。
1歩進んだら2歩も3歩も下がったって良いのよ。
だから、何かを食べること、目をつむって寝ることだけは忘れないで過ごしてね。この2つ欠けると壊れちゃうんだから!体験したから声を大にして言うわ!
まとまらないけど、このへんでね。変な人間でごめんね。でも、頼麦さん大好きだよ。ご機嫌な頼麦さんでも、ご機嫌斜めな頼麦さんでもファンだから、好き勝手言ってしまったわ。逆に傷つけたらごめんね。その時はちゃんと黙って大人しくしてる。煩くてごめん。
頑張ってとか応援してるなんて言わないから、食べる・寝る欠かしちゃダメよ!気が向いたときに食べて、寝てちょうだい。約束よ。
生きているだけで「まるもうけ」です^^
失せ物
愛情、優しさ、儚さ、
自分の、進む道、迷い道、後戻り
人間の。心、難しい
回り道しながら、探し物見つけよう
ゆっくり、慌てずに
揺らぐ、蝋燭の灯りのように
貴方の、心にも、小さくても
揺らぐ、灯り、届きますように
私はらいむぎさんに救われた一人です。
失せた物……もう二度と見つからない、見つけられないものもあると思うのです… だからこそ見つかると信じ生きていかなければいけないのかな……
私ももう見つけられないと思うものを探し続けています… 必ず朝が来るように、必ず寒い冬から暖かい春が訪れるように… そう、… 必ずそのうち見つけられるだろうと思いながら… 無理することなく… 風の吹くまま自然にまかせて… 生きてます… らいむぎさん… 肩の力をぬいて下さい 無理に元気を出そうとすると空回りしますよ… 自然でいて下さい… 陰ながら見守っています……
頼麦さん、日記、書いてくれてありがとう。
ぐるぐる巻く想いを吐き出せて良かった。
苦しい中で書いたこの文章。素晴らしい!
パワー使っちゃいましたね。
私にも頼麦さんの今の気持ち伝わったもの。
なんせ、シェークスピア型だもんね。
あ!金魚計画 逆転の発想。
巷では「金魚妻」はやってるし、タイムリーかも。
金魚妻とか言うと、抗争始まったら、村で一揆起こるかも?
いかん いかん みんな麦りすのままていますよ。
頼麦さん、私たち、麦リスで居られることが幸せやよ。
本当に、頼麦さんが金魚になったら、ムギリスたちは、
キュン魚!!になるよ。ふふっ 間違いない。うむ。
もはや、頼麦人魚だね。魅せられるだろうなぁ。
無能と万能の中で生きるってカッコいいー!
私、無能と平凡の中でもがいてるわぁ。
でもたまに、主婦力万能の日があるかも?
頼麦さん、あなたは大丈夫です。
文章の才能あるもの。
頼麦さん、あなたは愛されています。
知ってるって? ほんと?じゃあ、恩返ししなきゃなんて、
背負い込まないで。
真面目なことはステキだけど、真面目すぎると自分を追い詰めるよ。
頼麦さん、あなたは大丈夫です。
自分の弱さ、駄目なとこ、知っているもの。
一つ事をやり遂げた人は、みんな自分自身を理解してるらしいよ。
弱点を隠すのではなくて、うまく個性として強みにしてるみたい。頼麦さんもそうだよね。
最後に、私の好きな言葉の中から、これを。
人生は思うようにはならない。
だけど、人生は 思うようにしかならない。
だから、私は私の思うまま。
ガンバリスギズ、あるがままに 生きていくよ。
フレーフレーら い む ぎ
フレーフレー頼麦ぃぃ ーわぁー―~ー おしまい。
無能と全能を行ったり来たりする感覚、壮絶につらかろうと思います。
何も出来なくなる日も、無能などではぜったいにない。出来ることなら、痛みなく傷つくことなく、疲弊することない幸せな毎日であってほしい、いつかと願いながら、その振り幅の痛みの上で生み出してくれているものに、こんなに心を救われて、愛と命を灯してくれていて。
よだかの気持ちになるけれど、こうして大切に頂いたものが青く輝く星のように、消えてなくなることはない太陽のように、らいむぎさんの中にその火を照らして、移して、灯せたらなぁ。
らいむぎさんの焚べてくれたあたたかいひかりが、私達の中に息づいて命としてちゃんと瞬いてくれているのが見えるでしょうか。
その火は、らいむぎさんのひかり。
探してるものは、ここにありますか。
もしくは、見つかる明かりの道筋になること祈りながら
移した火が内側から暖かく大きく光り輝いて、らいむぎさんをまたあたためてくれますように。
報いなければと思わなくてもいいんです。
そう思ってくれていることが、誰より尊く大切ならいむぎさんらしさ、ひとつの柱として支えてくれてる信条だと痛いほど受け取りながら
人が増えても、それ以上に、どうか重荷になりませんように。
本当に「仲介者型」の最後の言葉そのもの
春に花が咲くように、らいむぎさんのくれる世界は、愛情深く創造性に溢れ、私達の心に優しいあたたかい命を吹き込んでくれるのを、それは今までもこれからも続いていくことを、私達はもう知っているから
なにかをしてる、していない
できてる、できてない、ではない。
無能も全能も
凡庸も才能も
俗世も尊さも
暗闇も光も
何も出来ない日も素晴らしい日も
その全部を、生きようとしている
らいむぎさんのこころが、私は好きです。
『あなたと岐路を分かつまで
想動ともにありましょう』
語ってくれた言葉そのままに
春は、あたたかい太陽は、探していているものは
らいむぎさんの中で、なくなることなくちゃんとそこにいるから。息づいて、にこにこぽむぽむと、包んでくれているから。
いつも分け与えてくれる春の息吹を、らいむぎさん自身の体と心にも、たくさんたくさん与えてあげられる日になりますように。
少しでも、今日が暖かい日になりますように。
大丈夫ですか?いつも優しく眠りにつかせてくださってありがとうございます。現在、らいむぎさんと同じ病気を一年半前に煩い、退院後の自宅投薬治療中です。
食べるのが大変かもしれないですが、飲めるものが大丈夫であれは、明治乳業さんのメイバランスはいかがでしょうか?私は、脳の栄養素不足が原因で意識障害がおきたり、更に進行すると記憶障害が少しでます。
特に鉄分不足みたいなので、朝にホットミルクにミロを溶かして飲むようにしました。ココアのように甘いですが、今は大人用の甘くないミロも販売されていますよ。
少しでも、体調がよくなりますように。
亡くしたものをずっと探しているような人生なのかもしれません。
物なのか人なのか心なのか…。
人間の限界とはどこなのでしょうか。
「この世にいたくない」と思った瞬間が確かにあったのに未だ生きている。
この時の文章から比べると今はお酒に頼ることがなくなったんですね。
探究心を忘れずに自分の弱さも受け入れられる。
らいむぎさんの周りには味方がたくさんいてくれるから大丈夫。
大丈夫です。
今とても生きづらいのですね。
どうしようもなく心がしんどい時には誰のどんな言葉さえも気休めに聞こえてしまうかもしれませんね。
自分の心など誰にも理解されることはないとさえ思える日もあるかもしれませんね。
私がそうでしたから。
だから今の気持ちを何ひとつ否定せずに見守ります。
何も言葉かけられずとも静かに見守ります。
私は自分の身体状況的に今、アルバイトすらまともに出来ていません。恥ずかしいお話ですが生活の余裕はあまりありません。
それでももし、らいむぎさんが色んな事が出来なくなって書いた本を売る必要がある時がくるのならその時はきっと買いますから。
(施しではないですよ)
亡くしたわくわくをまた見つけられるように
心が自暴自棄にならないように願いながら
私も自身のしんどさを抱えて遠く静かに見守ります。